ここはどこだ。 「怯むな!前を向け!勝機は我らにあり!!」 聞こえる怒声。呻き声。叫び声。金属音。地響き。世界を構成する全てが信じられなかった。五感が捉える世界はそれほどに、非現実的だった。九郎を先頭に斬り込む。続く望美、弁慶、リズ先生、後方支援の譲、白龍、そして。自分たちはいま別働隊で、挟み撃ちにせんがために動いている。だから迅速な行動が必要なのだ。勝つために。 九郎たちの勇ましさに触発されてか、選び抜かれた源氏軍の精鋭たちが見つけた敵軍へと雄々しく奇襲をかける。意表をついた奇襲は成功したらしく、平家の指揮系統は混乱に陥ったようだった。それでも平家は応戦し、乱戦が始まった。 「!!」 に呼ばれて足が止まっていたことに気付く。更にたちと距離を開けてしまったことにも気付き、咄嗟に叫ぼうとした。何を? 「っ」 声がでなかった。一瞬の戸惑い。迷い。逡巡。それが体を強張らせ、反応を遅らせた。 横から迫り来る存在。声。影。ぎらり、とした獰猛な目で手には血濡れの刀を持ち、叫び声を上げて自分に突進してきていた。血に濡れた刀。誰の血だろうか。相手は平家なんだから、源氏の軍の者に決まっている。血塗れ。血塗れ。血塗れ。殺した?人が、人を?珍しくも無い。でもそれは、ブラウン管の向こう側でのことだった。 「っあぁぁぁぁぁあぁああー!!!」 刀を振りかぶる。血濡れの刃が月光に反射して、妖艶で、気持ちが悪かった。月を背負った刃が迎えに来る。全てがスローモーション。そして別世界のことのよう。一種の絵画に迷い込んでしまった感覚。でも、背後に佇むは死神。首には鎌を構えられ、今すぐにでも刈り取られそうだ。あぁ、死ぬかもしれない。違う、死ぬ。完璧に完膚なきに完全に死に至る。もう目の前にある赤い刃が肉を裂き骨を断ち内臓を抉り赤い赤い赤い血を啜る。世界が終わる。あぁそんな。 口角が上がる。頬が引きつった。そう、自分はまだ、死にたくない。 「っあ」 目の前の男は目を血走らせ、相変わらず獰猛な目をしていた。その目が自分に刃が食い込む寸前、驚いたように目を見張ったのに気付いた。それを確認した瞬間に目の前は暗くなり、声が聞こえた。聞きなれた声。いつも人を振り回しては無理難題を吹っかけてくる声。たまに気を使ってくれる声。この世界に一緒に落ちた人。 肉を裂く、嫌な音が聞こえた。暗闇は重さを持って降ってくる。押しつぶされるように尻餅をついて、人に背中を預けている存在に目を落とす。 「・・・?」 力の抜けた体は重く、ぐったりとしていて動かない。脇から広がる赤。咄嗟に抱きとめていた手にべっとりと張り付く粘着質な血。広がる血溜まり。死の予感。あぁ、生きてる。 「さん!さん!!」 よかった。 「どこですか!?」 「望美!離れるな!!」 「でも、二人が!」 「早急に敵を殲滅すればいいことです」 声が聞こえる。望美。九郎。弁慶。あとはもう、聞き取れなかった。ただひたすら、手の平の血に、動かないに、自分の思考に目を見開く。 いま、なんと思った。自分を庇って死にそうなを目の前に、なんて思った。そんな、そんな。うそだ。 「あぁぁああぁぁ」 馬鹿の一つ覚えみたいに叫んでは向かってくる平家の武士を見上げる。また振り上げられる刀。の血に濡れた刀。真新しい血は凝固せず、降り注ぐ。ぱたぱた、と頬に落ちた。冷たい。でも、腕の中のは暖かい。ねぇ、どうしよう。 「ぅ、そ」 よかった、だなんて。 △▽△ 平家が撤退する。源氏側の奇襲に加えて指揮系統の乱れ、そしてこの乱戦に勝機はないと判断したのだろう。平家は早々に撤退を指示し、兵を引いていく。九郎さんは追撃の指示を出し、景時さんが部隊を編成して追いかけていった。それを見送り、はぐれてしまった二人を探してくると一声かけようとしたときだった。 声が、泣き声が聞こえた。大きな声で、子供のように泣きじゃくる声。それは私だけにじゃなく皆にも聞こえていたようで、自然と話し声は無くなって泣き声だけが響く。聞こえてくる方向へと視線を向けながら、あまりに痛さに顔を歪めた。この声の持ち主はさんだ。間違いないと思う。でも、この声に含まれる感情は、一体。 とてつもなく嫌な予感がした。 「っ、いってくる!」 そういい残して走った。感覚だけを頼りに声の聞こえるほうへと走る。だんだんと大きくなる声に、嫌な予感も大きくなっていった。早く、早く見つけないと。誰かがそう訴えかける。迫り来る焦燥感に思わず舌打ちした。この二人がいる時空は初めてだったから、できるだけ気を配っていたのに! 「さ、」 少し離れた、開けた地にさんがいた。そして絶句する。転がる死体の山。濃い血臭。その中心に、彼女が居た。泣き叫び、力なく座り込んでいるさんがいた。 「望美!待てと、」 後ろから九郎さんの声と共に複数の気配が現れた。やはりこの現状を目にした途端言葉を失ったようで、九郎さんの声は途切れて息をのんだみたいだった。それほどに無残で、無慈悲に、惨く、死が充満していた。泣き叫ぶさんは私たちには気付かない。ひたすら声を上げて、吼えるように泣いている。その後姿を見つめる以外に、どう動けばいいのかわからなかった。 「べ、弁慶殿!が、が!」 朔が倒れているさんを見つけたらしい。俄かに騒がしくなる後ろに反応してか、さんの泣き声が止んだ。空を仰いでいた顔は地上へと戻り、ゆっくりと、ゆっくりとこちらを振り返った。 「さ、 ん」 目が合い、そこに宿る感情に、色に、また絶句する。そこには全て、負の感情全てが篭っていた。憎悪。悲哀。嘆き。悲痛。失意。失望。そして一番色濃く見える、絶望。 「の、ぞみ」 顔は血だらけ。全身血塗れ。流す涙も赤黒い。顔には生気がない。いつも着ていた鮮やかな着物が黒装束に変わるほど血に濡れていた。涙が流れる。何かを切望する涙が流れる。一体、一体何があったというのだ。何が、一体何が。混乱する思考は停止し、どうすることもできない。どうしよう、どうしよう。言葉もでてこない、体も動かない。どうしよう。 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさ、い」 「・・・さん?」 「のぞみ、ごめん、九郎さん、ごめんなさい、弁慶さん、ごめんなさい、みんな、ごめんなさい、ごめんなさい」 謝り続ける彼女の目は虚ろだった。私たちを見ていない。名前を呼んでも、存在を認識していても、それは私たちに向けての言葉ではなかった。ただ涙を流して流し続けて、うわ言のように言い続ける。それは、誰に向かって? 「!」 九郎さんが横をすり抜けて駆け寄った。肩を掴んで目を合わせさせるが、まともに見たさんの目に一瞬怯んだようだった。ここからでは遠くでしか見えなかった感情が、はっきりと色濃く感じ取ることができたのだろう。九郎さんは眉を寄せて、険しい顔でさんの顔を挟む。親指で涙を拭い、言葉を投げかける。 「、、俺の声が聞こえるか?」 「・・・くろう、さん」 目と目をしっかり合わせて声をかければ、はなんとか反応を返した。それでも目の奥に潜む負の感情は消えず、蠢いている。間近に来れば来るほど感じ取ることの出来る、負の感情。油断していれば飲み込まれそうなほどに、それは強かった。ぐっときつく眉を寄せて、止め処なく流れる涙を拭う。だから、お前たちを連れて来たくなどなかったんだ。 「ごめんなさい、ごめんなさい、ご、めん、な、」 「、謝らなくて良い。お前はよくやった、何も悪いことなどしていないんだ」 「・・・、・・・でも、でも、くろうさん。くろうさん。くろうさん」 どこを見ているのかわからない視線がやっと交わり、無表情に近かった顔がくしゃり、と歪んだ。押し込めていた感情が顔に出てきた。そうだ、これでいい。押し込み蓋をしたままでは、壊れてしまう。吐き出させてやらなければならない。流れる量の増えた涙を袖で拭った。 「人を、人を、人を。殺してしまった。殺した。死にたくなかった。殺した。たくさん殺した」 「いいんだ。ここは戦場だから、それでいいんだ」 「死にたくなかった。死にたくない。死にたくない。人を犠牲にしてまで、死にたくないなんて、でも、まさか、 」 最後のほうは言葉にならず、吐息しか零すことができずに口を開け閉めさせるだけに終わった。そしてすとん、と何かが抜け落ちたかのように表情が無くなる。あぁ、これは、危険だ。瞬時にそう悟り、思わず顔を胸に押し付けて抱きしめた。死ぬな。死ぬな。壊れてはいけない。壊れることがあってはいけないんだ。 「ごめんな、さ」 「謝らなくていい。お前は正しいことをしたんだ。お前のお陰で俺たちは生きている。誇れ。お前が成し得た事を、俺たちを生き延びさせたことを、誇りに思え。お前は本当に、よくやったんだ」 偽善でも欺瞞でもなんでもいい。とにかく正当化することが必要だった。正当化させ、引き戻すことが必要だった。戻って来い、戻ってくるんだ。まだ早い。早すぎる。散らすには、まだ早い。抱きしめる腕に、力を込めた。 「・・・ごめんなさい」 泣き叫ぶことも、抱きしめ返されることも無かった。 △▽△ ごめんなさい。ごめんなさい。生きててごめんなさい。でも死にたくないから、死にたくないから、せめて死にたいと思って生きる。最低だ。最悪だ。人間として終わってるよね。だから、だからせめて、真っ先に死に向かうよ。だから、だから、お願い。死なないで。死なないで。よかった、だなんて思った自分を許して。ごめんなさい。ごめんなさい。ありがとう。こんな自分を引き上げようとしてくれてありがとう。ありがとう。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。 << >> (2009/03/08/) |