あの日からずっと見続けている夢がある。 自分は暗闇の中を一人突っ立っていて誰もいない。目の前に広がる闇以外自分以外何も存在しない。そんな寂しい空間で一人佇み、ふとした時に足を踏み出す。あぁまたこの夢か、と。あぁまた責め立てられるのか、と。夢の中の自分はこれが夢だと自覚していてとてもうんざりするのだ。何度も繰り返した同じことを更に何度も何度も繰り返す生産性のなさに嫌気が差していた。それでも夢の中では同じ事を繰り返すのだ。留まることはできない。留まったらきっとこの一人寂しい空間に閉じ込められると知っているから。決して留まることはできない。現実へと引き止めてくれたあの人たちのためにも、留まることはできないのだ。 音もなく歩を進める。何かが絡みつくかのように足が重い。足元から何か声が聞こえる。 何故。何故。お前が生きている。死にたくない。死ね。敵は殲滅すべし。痛い。痛い。痛いよぅ。死にたくないよぅ。何故お前が。お前なんかに。何故死ななければならない。何故殺されなければならない。お前なんかに。親友の死を喜んだお前なんかに! ぐっと唇をかみ締めて絡みついた何かを振りほどくかのように走り出す。何も聞こえないようにただ走ることに逃げることに集中しようと拳を硬くして唇をきつく噛んだ。口の中に血の味が広がる。涙が出た。すきで殺したんじゃない。すきでそんなことを思ったんじゃない。すきであんな場所に、 「ぅ、あ」 足を絡めとられて転んだ。後ろから追いかけてきていたらしい暗闇が体に絡みつく。踏みしめていた闇に引きずり込まれる。いやだ。いやだ。そこへは行きたくない。怖い。そこには何もない。何もなく囁く声が聞こえる。嬉々として人の心を抉る言葉が氾濫している。いやだ。怖い。助けて! 手を伸ばす。体が半分以上飲み込まれている。いつもと同じ。助けを求めても誰も助けてはくれない。手を伸ばしても誰も握ってはくれない。いつもと同じ。でも同じようにして最後まで手を伸ばし続ける。誰かが握ってくれると、誰かが呼んでくれると信じている。そう信じて、信じ続けていつも闇に飲み込まれる。そこで目が覚める。目が覚めた後のあの絶望感は何度体験しても慣れることはなかった。 そして今日もまた、手を伸ばし声を枯らし信じて這い上がろうとする。でも、そう、応えるものは一切なく伸ばす腕の指の先には暗闇があるだけで、何一つ存在しなかった。 暗闇が見下ろしている。 闇が囁いている。 呼ぶ声もない。 何もない。 目に映る光景はただただ暗く寂しく冷たい空間。 今日もまた絶望して目を覚ますのか。今日もまた這い上がることもできずに一人寂しく飲み込まれて餌食となるのか。あぁなんて非生産的。あぁなんという愚劣。あぁなんて、 くだらない。 昨日とは違う何かを思った瞬間、ぽん、と闇の中に投げ出された。いままで違う展開に目を丸くする。正座を崩した格好でぼんやりと前方を眺めて上を仰いだ。 何を思ったのか。何を考えたのか。何を悟ったのか。全て把握している。今までと違う。最後まで、最後まで助けを求めていた今までと、違う。諦めた。諦めたのだ。今日は、最後の最後で諦めた。助けはない。希望もない。信じるものは何もない。そう、諦めた。諦観した。何もかもが仕方のないことだったと、そう悟って見切りをつけた。 「は、はははは、あははははは!」 今日は絶望して起きることもない。嗚咽を噛み殺すころもない。あぁなんて愉快。愉快なことだろう! 「死にたくないから仕方のないことなんだ」 △▽△ 外からは小鳥の囀りが聞こえる。遠くからは朝ごはんを準備し始めているのか小さく喧騒が聞こえた。布団の上で身を起こしたままぼんやりと、その音を聞く。 小鳥。風。これは譲。そして朔。白龍もいる。さわさわ、さわさわ、木々のざわめき優しい。そして今日はいつものあの感覚が、胸を締め付けるくせにぽっかりと穴が開いてしまったかのようなあの感覚が、ない。ぐっ、と胸元の合わせ目を掴んだ。なんだかとても愉快な気分だ。意味もなく笑い出しそうで、我慢するために折り曲げた膝に顔を埋めた。 あぁそうか、あの夢でも諦めてしまったように、自分も諦めてしまったのか。 そのことに気づいて噛み殺し損ねた笑い声を漏らした。肩を震わせて笑う。これからはもう悩まされることはない。燻り続けるだろうけど。これからはもう助けを求めることもない。救いはないと知ったから。これからはもう、 「のために、生かすために生きよう」 死にたくないけど、を生かすために真っ先に死に向かおう。あの子はまだゲームだと思っている。それならまだ、そう思っていればいい。こんな思いをするのは自分だけで十分だ。だからこれはゲームだと思い込ませておこう。そして何事もなくもとの世界に帰ろう。戻ろう。楽しかったあの日々に。何も知らなかったあの時には戻れないけど、せめてこの世界を満喫して楽しく過ごして戻ろう。汚い部分は全て自分が背負うから。醜悪な部分は全て自分が背負うから。だから君は前を見ていて。 「これが自分にできること」 君のために背負ってみせよう。 『あぁそうだ、だからお前にその役目を与えたんだ』 どこからか響いた声は笑いを含んでいて不快だった。 △▽△ 「おはようございまーす」 変に間延びした声が聞こえたかと思ったら戸口に立つのは身支度を終えたちゃんだった。突然の出来事に俺だけといわずその場にいた全員が硬直する。それをさして問題ではないといわんばかりにちゃんは今日の朝ごはん何?なんて暢気な笑顔で譲くんに聞いている。いやいやいや。 「ちゃん・・・」 「はい?なんですか?」 呼べばにこり、と笑って問い返してくる。いつもの彼女だ。初陣の前までの、いつもの。ぽかん、とした顔で見下ろしていればちゃんは首を傾げて律儀に俺の言葉を待っていた。あぁ、いつか可愛らしいと思った仕草だ。そんなことを頭の隅で思い出した。浮かべた笑顔に不思議そうな雰囲気が混ざる。あまりにもいつもすぎて何もいえなかった。 「一体どうしたんですか?景時さんだけどいわず、みんな変な顔して」 「いや、その、・・・?」 「はい、なんですか九郎さん」 「あー・・・その、だな・・・。もう、・・・大丈夫なのか?」 「あ、はい。まぁ、その節はご心配をおかけしましてすみませんでした。自分はもう元気なのでいつも通りのご飯に戻してください。ゆずるー」 「え、あ、はい、構いませんが」 九郎の問いかけにそう返して軽く頭を下げる。そして譲くんにそう訴える姿はあまりにも、この数日間の抜け殻状態だったあの姿がなかったといわんばかりで、とても奇妙に思えた。 ちゃんはそのことを自覚しているのか、妙な雰囲気が漂う台所に苦笑して困ったかのように眉尻を下げた。 「・・・本当に、もう大丈夫です。九郎さん、あの時はありがとうございました」 「当然のことをしたまでだ。仲間だからな」 そういって目の前までやってきて頭を下げるちゃんの頭を不器用に撫でた。九郎らしい。嬉しそうにはにかむ姿に胸を撫で下ろし、朔を盗み見すれば安心したのか涙ぐんでいた。人一倍心配していたからなぁ、朔は。その姿に更に胸を撫で下ろしてもう一度彼女を見た。この数日間で大分痩せてしまった。無理もないかもしれないが、その姿が痛ましい。戦もない世界からやってきて、まだ年端も行かぬ子だというのに。人を傷つける武器を持たせ、戦場へと出してしまった。そのことに改めて後悔の念が押し寄せてくる。 「景時さん?」 「えっ、あ、なにかな?」 気づけばすぐ目の前にちゃんの顔があった。不思議そうな顔で人の顔を覗き込んでいる。にこり、と笑えばちゃんも笑ってぼんやりしてましたよ何を考えてたんですか?と言葉を繋いだ。 「元気になってよかったって、思ってたんだよ」 こう思っていたのは本当のことだ。 「えー誤魔化してないですか?」 「そんなことしても意味がないでしょ?」 「まぁそうですけど・・・」 どこか納得いかないとばかりにむくれる彼女に笑みが零れる。あの時の選択は正解じゃなかったかもしれないが間違いでもなかったのかもしれない。そのことに安堵した。 「でも、まぁ、いいか。景時さん」 「なにかな?」 「そんなに気にすることないですよ。諦めましたから」 そういって立ち去る背中。笑いかける声。先ほど見せた笑み。そして目の奥の奥で揺れる感情。目を見開いた。笑い声を聞いた。背中を見つめた。変わらない君。変わってしまった君。そう、揺れる感情はとても冷たく凍てつき、ほの暗かった。 不安が駆け巡る。心臓が早鐘を打つ。あぁなんてことだ。君は諦めたといった。事実諦めてしまったのだろう。彼女の年頃は、まだ花盛りで楽しい時期だろうに過酷なことを強いてしまった。あぁ本当に、なんてことをしてしまったのか。気づいた事実に目頭が熱くなる。気づかれないようにさり気なく隠して外へと出た。上空に広がる青と白さが目に痛い。そういえばあの日も、このように晴れた空だった。そして忘れないだろう。あの時見た彼女の姿。俺の選択。俺の迷い。いまでもまだ、過ぎたことだというのに迷い続けている。そして答えはいまでも出ることはなかった。 やはりあのときの選択の正否は一生わからないのだろう。 << (2009/09/21/) |