縁側の柱に背を預けてなにもすることもなく、いや、本を読んではいたんだけど、それに飽き始めてぼんやりしながら文字を追いかけていたときだ。

「せんぱーい!」

 犬がきた。いや、犬じゃなく、最近編入してきた年上の後輩が手を大きく振ってやってきた。ちらり、と視線をあげてまた本に戻す。犬っていうより猫かな。久々知へのなつきっぷりは犬のような気がするけど。ぱらり、頁をめくる。

「先輩先輩!」
「なに?」
「今日は天気がいいですね!」
「そうだな」

 だから縁側にでて読書に勤しんでいるわけだ。小鳥の囀りやら木々のざわめきやら暖かい陽射しやら優しく頬を撫でていく風やら、心地のいい空間を作り出す縁側は偉大だと思う。素敵だ縁側。素晴らしいぞ縁側。君さえいれば私は幸せになれる。すごいぞ縁側。
 そんな妙なことを考えながらまた、めくる。そろそろ終いか。

「で、こんな日は外を歩きたくなりませんか?」
「なるねぇ」
「さっき鉢屋先輩と不破先輩、久々知先輩と竹谷先輩も一緒に四人で出掛けていきましたよー」
「知ってる。誘われたし」
「断ったんですか?」
「うん。縁側気持ちよかったからさ」

 別に一緒に甘味処へと出掛けてもよかった。むしろ率先して出掛けたかった。でも、縁側の誘惑に負けてしまった。出掛けてもきっと気持ちよかったに違いないし、みんなと一緒にいたほうが楽しいに決まっている。なのに、何故かいい案配の光と影を作り出している縁側をみたら、ここにいたほうがいいと思ってしまったのだ。その時何かが頭の中を通りすぎたけど、よくわからなかった。まぁ心地のいい空間を堪能できているわけだから、別に悔いる気持ちなんてあるわけないのだけど。お茶が欲しいなぁ、と思いつつ突き刺さる視線を無視しながら最後の頁をめくる。

「確かにここは気持ちいいですね」
「でしょー?私、縁側すきなんだよねー」
「…ね、先輩」
「んー?なにー」
「あー…あのね、」

 いい淀む後輩を不思議に思ってちらり、と視線をあげた。どこか恥ずかしそうに視線を斜め上方向に泳がし、手を組んでもじもじしている光景に絶句する。なんだこいつ男の癖して可愛い。
「…タカ丸さん」
「え、あ、はい、なんですか?」
「色仕掛けですか?」

 思わず敬語で、真剣に聞いてみた。目を丸くして驚いているタカ丸はしばらくしてへらり、と顔を崩して笑う。

「バレました?」
「バレバレです。舐めんなちくしょう」
「あーぁ、これなら先輩、落ちると思ったのになぁ」

 真正面に向かい合って座っていたタカ丸は片胡座だった足を下ろしていたもう片方の足のように外へと投げ出し、残念そうにため息をつく。その横顔を眺めははっ、と笑いがらも、機嫌悪そうに眉を寄せた。

「情報の出所は?」
「鉢屋先輩」
「ま、そうだろうな」
「聞かなくても先輩が可愛い人好きだっていうのは知ってましたけどねー」
「え、私そんなにわかりやすかった?」

 今度は自分が目を丸くして驚いた。日々、可愛い子たちを愛でるためにいろいろ我慢して普通に振る舞ってきていたのに。編入してきたばかりの奴がそれを見抜けたというのか。それは忍を目指す者としてどうよ。

「あ、僕ぐらいしか気付いてませんから。下級生は」
「…あ、そう。私としてはタカ丸さんに気付かれたことが一番の大打撃なんだけど」
「ひどいなぁ先輩ってば!」

 けらけらと笑うタカ丸を睨み付けて、深くため息をついた。その鋭い観察眼もさることながら、タカ丸は自分のことをよく理解している。普通の男がやったらかなり気持ち悪い仕草だった。タカ丸と同年代の奴らにやられたらしばき倒しているところだったろう。中々に将来有望そうな人だ。そんなことを考えながら、本を閉じたり開いたりを繰り返した。なんだか本を読む気が失せた。残りは最後の頁のみだというのに。こいつ、どうしてくれよう。

先輩。僕が気付いたのはね、ずっと先輩をみていたからなんですよ」

 若干苛つきながら本を弄んでいたらそんな言葉が聞こえてきて、思わず落としてしまった。視線をあげれば照れ笑いをするタカ丸がいて固まった。なんだよこいつ狙っているにしても自然体だしなにより似合っているしだから可愛すぎ。ちくしょう罠に嵌ってなるものか。

「…色仕掛け続行ですか」
「さっきは僕の本心だけど、まぁ続行中です」

 先輩が僕に落ちてくれるならなんだってするよ。そう笑顔でいいきるこの後輩の将来が恐ろしい。有望とは思ったが、これは中々に恐ろしい。きり丸も末恐ろしいとは思ったけど、これほどではなかった。 ずい、と身を乗り出して顔を覗き込んでくるタカ丸から距離を置こうと膝を折り畳む。後ろへ引き下がろうとしてそういえば柱を背にしていたのだった、と思い出した。内心舌打ちしつつ柱に背を押し付けていればタカ丸は人の膝の上に手を置いてさらに近づき、にっこり笑う。瞳の向こうにちらつく感情に、背筋に震えが走ってぐっ、と口を引き結んだ。

「ねぇ、先輩」
「…なに」
「今日は天気がいいね」
「この分だと明日もいいだろうよ」
「そうかもね」

 にこにこしていて可愛らしいがとんだ曲者だ。油断できない。喰えない奴。タカ丸の熱い感情に、焼かれそうだ。

「タカ丸さん」
「なに?」
「つまり、」
「つまり?」
「…つまり、誘ってるわけ?」

 鼻先が擦りあいそうな近さで、タカ丸は破顔する。あ、やっべ、すっげ可愛い。それは狙ってだしたものではなかったから、思わず呆気にとられた。

「どっち?」
「どっちも」
「欲張りだな」
「先輩がそうさせるんだよ」
「責任転嫁はやめてよね」
「言いがかり」
「どこが」
「まぁ、間違いじゃないけどね」

 いまだに近くてにこにこ笑うタカ丸の肩を押して離れさせようとしたが、逆に手をとられた。不愉快そうにぎゅ、と眉を寄せる。そのままタカ丸の顔をみたら、タカ丸も険しく眉を寄せていた。なんでだよ。

「…ね、先輩」
「なに」

 このやり取りも何度目になるのか。

「襲うよ?」

 どこか断定的な言葉に思いっきり平手打ちをかましてやった。

「ぎゃぁあいた!先輩痛い!」
「一万年とんで二千年早いわ」
「それどこかで聞いたっていうか、ごめん先輩思わず本音が零れただけであんなこというつもりは、」
「はいはい私の色気にやられたんでしょ」
「え、先輩、意識的に色仕掛けしたんですか?」
「誰がんな寒いことするか!!」

 冗談だったのに本気で返されて思わずまた殴った。ぎゃあぎゃあ騒ぐうるさいタカ丸にため息をつきながら、本を手にとる。

「…天気もいいし、欲張りな誰かさんの誘いを断ったら怖そうだし、この優しいお姉さんが誘いにのったげましょう」

 にやり。意地悪そうにタカ丸に笑って、立ち上がる。ぽかんとした顔がなんとも阿呆らしかった。

「…ひどいなぁ、僕は先輩を怖がらせたりしませんよー」

 そう嬉しそうに笑うタカ丸を肩越しにみて軽く笑い、準備しておいでといい置いて部屋へと引っ込んだ。ぱたん、と閉じた部屋の中でなにを着ていこう、なんて柄にもないことを思う。どうやら思いの外、楽しみらしい。そのことに気付いて、目を瞬かせた。

「…あーぁ、してやられちゃったなぁ」

 ため息混じりに呟いて唸ってはみるが、悩んでも仕方ないししばらくこの状況を楽しんだほうがいいかもしれない。こんな専門外、どう対処すればいいのやら。困ったものである。

「さて、どうしたもんかね」



恋愛感情なんていう厄介なもの、どう扱えばいいのかわからないのに