男とは酷く単純なものだと思う。
 身なりを綺麗に整えて、仕草に気をつけて、ただ話していれば落ちるのだから。こちらから仕掛けてなどいないのに、勝手に私に好意を抱く。体を重ねてしまえばその男はもう私しかみなくなるのだ。本当に、酷く単純で、簡単だ。
 もちろん恵まれた体型と容姿があってこそだとは理解している。その点では、私は恵まれているほうであるし、それらを最大限に活用し利用する術も知っている。自惚れではなく事実だ。そうでなければ、私はこうならなかった。

「やぁ、
「あら、お久しぶりです」

 何時ものように身なりを整えて歩いていれば声をかけられた。にこり、と笑ってやれば相手も笑う。この男は随分前から私に入れ込んでいるが、これの親友とも呼べる男は私を嫌っていた。男がいくら全てを承知で私に好意を寄せているのだといっても、頑として態度は変わらなかった。その場に居合わせてしまい最後に見つかってしまった私は不運としかいいようがないが、ついでだからと私も私でたぶらかしているわけではないと主張してみたが睨まれるだけで終わる、頑固な男だった。
 好意を持たれるかか嫌悪されるか。私にはその二つしかない。女の方は、押して計るべし、とでもいうところか。とにかく、向けられる感情はほぼその二つしかないのだ。

「それでは、また。お仕事、気をつけてください」
「あぁ、君も、怪我とかしないでね」

 そういって互いに手を振り、別れる。どうもこれから難しい仕事らしく、私の顔を見に来たんだとか。よくぞまぁこんな女を一途に想い続けられるものだ。さすがの私も呆気にとられてしまうほど、全てを理解しているのに、それでも彼は一途だった。そんな人の想いに応えるどころか傾きもせず、反応すらしない自分を嘲笑ってしまう。全く、私は何故こんな風になってしまったのだろう。思わずため息をついた。

「ため息つきたいのはあっちのほうじゃない?」
「え、きゃあっ」

 突然後ろから声がしたかと思ったら何かが降ってきて、丁度よく頭を通りすぎてはまるように肩に落ちた。確認する間もなく引っ張られ、しゅるしゅるとか音を立てて締まる。咄嗟に手を差し込んだがその手諸とも締められてしまった。首に軽く圧迫感があり、苦しい。

「兵太夫!」

 叫んで振り向けば紐を片手に笑顔で挨拶してきた。私はそれを睨みつつ、首と紐の間が広がらないか手首で押し広げようと試みる。痛い。眉を寄せた。

「無理だよ。それ以上広がらないようにできてる」
「苦しいんだけど」
「大丈夫さ。それ以上縮まらないから」
「あっそ」

 素っ気なく返して手首を引き抜く。少しは楽になったが、窮屈感には変わりはない。なんとかして外そうとしていくら弄ろうとも紐はとれなかった。悪戦苦闘する姿を笑みを浮かべて眺めている兵太夫を睨み付け、ほどけと若干低い声で吐き捨てるようにいった。

「あらあら、何時も綺麗なかんばせが醜く歪んでましてよ?」
「うるさいな。私だって人なのだから何時も綺麗でいるわけじゃない」
「ははっ、おっしゃる通りで」
「ほどけ」
「いくらお前でも僕の楽しみを邪魔するのは許さないよ」

 無駄にきれいな笑みで兵太夫は紐を持った手を引っ張る。当然紐はほどけていないし、私の首へと繋がっているわけであるから引き寄せられるかのようにつんのめった。なにするんだと睨むけれど兵太夫は面白そうに笑みを浮かべるばかりだ。仕舞いには手を伸ばして紐と輪っかになっている境目を掴み持ち上げやがった。紐が食い込んでいたいし苦しい。ぎゅ、ときつく眉を寄せた。

「お前、僕の友達は喰ってくれるなよ」
「覚えはないね」
「乱太郎がさ、心配してる」
「あの人が私に惚れちゃってるんだもの。仕方ない」
「ついでにいうとさ、団蔵あたりがお前に気があるみたいなんだよね」
「勝手に熱をあげるのはどうしようもなくない?」

 他人の思考まで知るものか。そんな自分ではどうしようもできないこと、いわれても困る。これが私であるのだし、私は私のことで精一杯なのだ。第一、何故兵太夫がこんな風に接してくるのかさえわからない。好意を持つか嫌悪するか、男はその二択じゃなかったのか。その二つしか知らない。兵太夫は好意を持っていないし嫌悪もしていない。なんの感情も抱かずに接してくる。わからない。距離が測れない。
 醜く顔を歪めているだろう私に兵太夫は口を弓なりにし笑みを作る。

「お前、わからないって顔してるな」
「わからないね」
「僕にはお前が当てはまらないってことさ」

 しゅるり。何故だかあんなに弄ろうともほどけなかった紐は、兵太夫が掴みあげていた紐から手を放すだけで簡単にほどけた。兵太夫を見上げたまま、やはり意味がわからないと睨む。そうすると兵太夫はまだわからないのかと鼻で笑った。

「装備して、装填して、その中身が空っぽじゃ意味がないね」

 じゃ、忠告はしたからね、と無駄に華麗に去り行く後ろ姿は作法委員会ならではなのか。いつぞやかの作法委員長を思い出した。そんな後ろ姿を目を丸くし、呆然と、みえなくなるまで眺めていた。 兵太夫にいわれた言葉が、頭の中を廻る。つまり、つまり、だ。装備とは身なりを整えること、装填とは仕草のこと、そして中身とは私自身のこと。外見を整えて仕込まれた仕草を最大限に活用しているだけでは興味がないと、私が私である限り無関心であるというのか。そんなことをいう男など、初めてだ。心臓を鷲掴みにされる衝撃に、体が震える。

「…ははっ、面白いじゃない」

 口が弧を描く。ならば作り上げてきた私を脱ぎ捨てて、挑んでみようか。笹山兵太夫。私が挑もうと思う男はお前が最初で最後だろうよ。

「全力で落としにかかってやろうか」

 いまのいままで凍結していた感情を動かせ、こんなことをいわせるお前はすごいよ。



罠を仕掛け、罠に嵌ったのは誰なのか