本が恋人。といっても過言ではないくらいに、私は本好きだと認識されている。そんなことない、と否定しようものならば信じられるわけないだろ、と大抵笑われるから、いまでは否定せずに笑って流すようになった。まぁ、あながち間違ってはいないのだから、否定した方が可笑しいのだけど。ただなんとなく、否定したくなったのだ。本当になんとなく。いまでも突っ込まれるたびに、どこか微妙な気持ちになる。 そんな自分でも掴みきれない感情は胸の奥に疼いたまま、私はそれを持て余していた。 「らーいぞーぅ」 「あ、。もう来たの?」 図書室に入ってすぐに見えるカウンターで、なにやら図書委員としての仕事をこなしていた雷蔵に声をかけたらそんな言葉が返ってきた。本を掴んでいる手をあげながら短く挨拶し、貸し出し手続きを行っていた生徒と入れ替わりにカウンターの前に立つ。雷蔵はどこか呆れ顔。まぁ、わからなくもない。 「それ、昨日借りたやつだよね」 「ご名答」 「もう読んじゃったの?いくらなんでも早すぎない?」 「それ、兵助にもいわれたわ」 「じゃあ三郎には、ただでさえ女にみえないんだからどこかの委員長みたく目の下に隈なんかこさえてたらいい笑い者だぞ、とかいわれたんじゃない?」 「おぉーさすが雷蔵、一字一句間違ってないね」 素直に感心してみたらため息をつかれた。何故。 「あ、あぁわかってるよ雷蔵。兵助はもちろん、三郎だって心配してくれてることぐらい気付いてる」 「いや、そうじゃなくて、いや、そうなんだけど、」 「雷蔵が一番心配してくれてるっていうのも知ってるよ」 軽く額に指を押し付けなにやらいい淀んでいる雷蔵ににっこり笑ってそういうと、目を丸くして視線を泳がせた。照れてら。可愛いやつだなぁ、と笑みを深くして差し出した。 「そんなわけでこれ返却ね」 「そして次の新刊を?」 「うん、よろしくー」 借りるときは一冊のみ、と私限定の特例がある。昔、新刊を一度に借りたら呆れた苦情が殺到したらしく、図書委員長にそう命じられたのだ。さすがに悪いことしたなぁ、と反省したので、きちんとそれを守っている。新刊が納められている本棚に向かう雷蔵の後ろ姿を眺めて、暇なので適当に近くの本棚を物色した。あ、これ読んでない。引き抜いてぱらり、とめくる。 「…」 「え?あ」 気付けばカウンターの目の前に座り込んでいた。下級生が近寄りにくそうに雷蔵の後ろに隠れていて、思わず苦笑する。 「ごめんね、いま退くよ」 「…で、そこに座り込むんだ?」 雷蔵がまた呆れたようにため息をついた。ただ雷蔵が座っていた位置のすぐ後ろに座り込んだだけでなぜため息をつかれなければならないのか。よくわからない。疑問符を浮かべる私に対しまぁいいか、と雷蔵は定位置に座り、貸し出し手続きを始める。私は雷蔵の後ろ頭をしばらく眺めた後、背中を預けて本の続きを開いた。 「ねぇ、重いんだけど」 「邪魔にはならないでしょ」 「そうだけどさ・・・読むなら他の机で読みなよ」 「移動めんどい」 ぱらり。頁をめくる。 「全く…大人しくしててね」 「本読んでるだけだから騒がないって」 ぱらり。まためくる。 「ほんとは、本が好きだよね」 ため息混じりの言葉にぴくり、と反応して文字を追う目が止まった。本が好き。本好き。別にそれは構わない。けど。 「…雷蔵も本が恋人、とかいうわけ?」 「え?いきなりなに」 「別に、みんなそういうし、雷蔵もいうのかなぁって」 何気無く、なんだか引っ掛かったから聞いてみただけなのに、妙に緊張する。文字を再び追い始めるけど、頭の中には入ってこなかった。あぁ、読書にならない。後ろの雷蔵から伝わる振動で、作業を再開したののがわかった。 「本が恋人っていうより…知識を吸収することがすきなんじゃないかな」 穏やかな声は告げる。 「本はその手段。だから読書する。けど膨大な量を読むから、勘違いされたってところじゃない?」 他にも手頃な手段があったらこんなにも本は読まないでしょ、と笑い混じりでいう雷蔵に後頭部をぶつけることで黙らせた。やばい。なんか、照れる。然り気無く本で顔を隠した。胸の奥に疼いていた感情はいつの間にか昇華され、見る影もない。なるほど、そっか。 「そうだったんだ…」 「え、まさか、無自覚?」 「そんなとこ。なんていうか、知的好奇心は旺盛だなぁ、ぐらいにしか思ってなかったし、もともと本好きだったし」 そういうと、雷蔵はまた呆れたようにため息をついて笑った。なんとなく恥ずかしくなってまた後頭部をぶつければ照れてる、とか笑って指摘されて、可愛くなくうるさいと言い返した。 「…気付かせてくれてありがとう。なんかすっきりした」 「どういたしまして」 まだ笑っていることが背中から伝わる振動でわかる。この野郎。 「雷蔵はよく気付いたね。本人無自覚だったのに」 「そりゃ気付くよ。ってわかりやすいし」 「…さいですか」 「本から恋人の位置、奪おうかなって思ってたし」 ずるり。背中合わせからずれた。 「…はい?」 「このぶんだとまだまだ時間はかかりそうだけどね」 「や、ちょ、あの」 どこか慌て雷蔵を振り返れば耳も首も真っ赤で、思わず絶句して赤面してしまった。 たぶん本が恋人といわれて気に食わなかったのは、もうその位置にいて欲しい人がいたからだ。いまさらながらに気付いたそれに、赤い顔を覆うようにして押さえ、また背中を預けた。 「それはまた、奪ってくれるのが楽しみだ」 「期待に沿えるよう努力しましょう」 二人で顔を赤くして、読書にも仕事にもならなかったのはいうまでもない。
既に叶っていることなど教えてやるものか
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