お前ほど酷い人はいない。

「竹谷ー」
「おーどうしたー、ってまたか」

 不躾にもなんの断りもなく戸に手をかけ開け放ち、文机にむかっていた竹谷を呼べば課題かなにかをこなしていた手を止めずに最初は生返事を返したが、何かを察したのかため息混じりで呆れたように繰り返しを指す言葉を吐き振り向いた。眉を寄せ半眼閉じた、呆れた表情。私は零れそうになる何かを押し留めるようにぐっ、と眉を寄せて口を真一文字に引き結ぶ。
 私を真正面からみた竹谷は再度ため息をつき、戸口に突っ立ったままの私を手招きして部屋へと招く。拒否するわけもなく、むしろ求めていたものだったから、重い足取りで踏み込んだ。伸ばされ差し出された掌に自分のを重ね、すとん、と座り込む。握り込まれた手が暖かい。涙腺が瓦解したようで、ぼたぼたと涙が落ちては濃紺の制服に染みを作っていく。

「…っ、う、」
「…お前、いい加減に俺のとこくるのやめろよ」

 鬱陶しそうな声。事実、なにもいわずに声を殺して泣き出してしまう私が鬱陶しいのだろう。ぐっ、と目を閉じれば水が逃げ落ちていく。

「それが、傷心の私に、か、ける言葉、かよ」
「またやらかしたんだろ」
「…うん」
「その度に俺のとここられちゃ鬱陶しいよ」

 当たり前だろ、とやはりため息混じりでいう竹谷の表情はわからない。ひたすら床を睨み付けている私の視界には、竹谷の胡座と握られている手しか映っておらず、声色から相手の感情を推し量るしか手段はなかった。どうせ、大した違いもないのだろうけど。ぱちり。瞬きをすれば水が落ちていく。涙は止まることを知らない。

「いい、じゃんか。あいつらには、頼れない」
「あいつらには、ね…」

 どこか冷えた声に、思わず顔をあげた。不明瞭な視界を正さんがばかりに涙は頬を伝い、流れ落ちていく。明けた視界の先には、背筋が寒くなるような冷えた表情。ぞくり、と震えが走る。

「頼れないからって消去法でこっちにこられちゃたまんないっての」
「…わかってる」

 わかってはいる。わかってはいるけど、ここに向かう足を止められない。何故だかわからないけど、竹谷のところに来てしまう私を止められないのだ。
 ぐっ、と手を握り締めて、膝を抱えた。

「何を恐れている?」
「別に、なにも」
「防衛本能丸出しじゃ説得力ないぞ」

 言葉と共に握り締めていた手をほどかれ、暖かみを失った。繋ぎ止めていた現実が自ら離れていき、底冷えする寒さが襲う。あぁそうだ、そうだとも。私はこれに怯えていた。恐れていた。現実は優しくなくて、幻想ばかりが美しくて、立ち往生しているばかりの自分がなんとも情けなく、憎い。押し潰されそうになる。いつも、いつも。それを竹谷は知っているのに。知っているのに。
 抱え込んだ膝に額をのせた体勢に伸ばされ繋がっていた腕も加わり、寒さから身を守るようにより一層体に力を加えて小さくなろうとした。涙はまだ止まらない。あぁ、全く。

「…あんたほど酷い人はいないよ」
「それはこっちの台詞だ」

 全く同じ言葉が降ってくるのと同時に伝わる背中から包み込まれるような温もりに、やはり泣いた。



鈍感であることは時として罪にもなるのではないだろうか。


鬱陶しいといいつつ突き放さない理由をお前は考えたことがあるか?俺が手放さないと気付いているか? なぁ、お前は。