「…の生徒は」
「…、…だろう」

 通りがかった山田先生と土井先生の部屋の前でのことだ。なにやら困ったようなため息と声が聞こえてきたのに立ち止まった。漏れ聞こえてきた声によると、なにやら上級生の実習のことらしい。は組でさえ大変そうなのに、先生って悩み事が尽きないなぁとしみじみ思って声をかけた。

「山田先生、です」
「おぉどうした。入りなさい」
「失礼します」

 がらり、と引き戸に手をかける。部屋の中には先ほどの深刻そうな声とは裏腹に笑顔の山田先生と土井先生がいて、何か用か、という言葉に頼まれた資料をお届けにきました、と淡々に言い返して抱えていた紙の束を渡した。

「あぁ、ご苦労。助かったよ」
「いえ、」
「あ、そうだ、さんもお茶していくかい?」

 渡した書類をぱらぱらとチェックする山田先生と笑顔でお茶の準備に取り掛かっている土井先生を交互にみやり、口を開いた。

「山田先生、土井先生、花桜楼なら自分が口利きできますけど、いかがですか?」

 びしり、と硬直した二人の教師はちょっと見ものだったのは秘密だ。


***


「失礼します、」

 集められていたのは四人だった。しかも鉢屋、不破、竹谷、久々知、というなんとも一方的ではあるが見知った奴らだった。先生に呼び出された部屋に入った瞬間に視線が集まり、そのまた次の瞬間には多様に驚かれなんとも居心地が悪い。まぁこれから五年生の実習内容の説明を受けるというのに三年生である自分がこの場に居るとはかなり不可思議ではあるよなぁ。仕方のないことだ、と無理やり納得し突き刺さる視線の痛さを我慢して引き戸を閉めた。

「誰かと思えばじゃないか」
「ご無沙汰しております、竹谷先輩」
「見知った仲なんだし、堅苦しいのはなしでいこう。孫兵の友達でもあるしな」

 にかっ、と笑うその姿はなんとも爽やかで清々しいことだろうか。とりあえず気のない曖昧な言葉を返しておいて手招きをする竹谷に近寄った。隣をぽんぽん叩くからきっと隣に座れってことなんだろうが、この輪に加わるということになんとなく緊張する。なんたって紙の向こう側に居た奴らと現実で顔をあわせるのだ。いつも思うがあり得ないだろ。そんなことを考えつつもそ知らぬ顔で失礼します、と一言言い置いて座った。

「そういえば、委員会は決めたのか?」
「いえ、まだです」
「そうか、なら是非生物委員会に来てくれ。孫兵も一年坊たちもがいると楽しそうなんだ」
「考えておきます」
「八、そいつ誰だ?」

 ちょん、と腰を落ち着けながらそんな他愛ないことを話していればさっくりと声が切り込んできた。声のした方をみれば興味深げにこちらを見る双子の片割れと目が合う。隣にいるもう片方はいきなりの不躾な質問に困ったように隣を眺めているが止めるつもりはないらしい。自分も気になるからってところだろうか。そしておそらくそちらが不破で質問主が鉢屋なのだろう。見分けがつかないから推測でしかないけど。

「あぁ、こいつはなー、」

 竹谷がそういつつぽん、と頭の上に大きな手を置いた。衝撃で少しだけ俯く。大きな手だなぁ、なんてぼんやり思いながら胸が締め付けられるような、そんな感覚を覚えてしまうのは大好きな彼だからに他ならないのだろう。たぶん、誰にでもそうなってしまうだろうけど。なんていったって好きだった漫画の、

「…」
「…」

 そこまで考えて視線を感じたのでなんとなしに目を向けた。ばちり、と目が合う。久々知だ。
 久々知は事の成り行きを見守っていたらしくずっと沈黙を守っていた。自分も自分から関わりに行くようなことはするつもりもなかったから放置しておいたのだが、
 なんだこの状況は。視線が合ったままぶれさえしない上に、なんだか逸らすことができなかった。竹谷も鉢屋も不破も、こちらの状態に気づいたらしく、どう説明しようか考えていた竹谷の言葉が続かない。なにこの冷戦状態。がちん、と体が固まる。
 何も言ってこない、鉢屋の言葉にのってこないということは興味も何もないものだと思っていたのだが、このかち合った視線から興味があるらしいということがすぐにわかった。何故だか知らないが、いや興味があるからなんだろうが、ものすごく、ものすごく真っ直ぐにこちらを見ているのだ。それはもう穴が開きそうなほど、真っ直ぐに貫いている。さすがの目力というのだろうか、一番強く刺さる視線に緊張が増して冷や汗が流れた。不意に伏せられた目元にはまつげの影が出来上がる。すっげ、まつげながー…。

「…兵助、そんなに見つめてやるな。三郎も面白がらない」
「あ、いや、びくびくしているから、つい」
「雷蔵も助けてやれよー」
「うん、ごめんね」

 しばらく見詰め合っていたら呆れた竹谷が助け舟をだした。そのおかげで久々知から強い視線は外れ、一言謝罪されたから大丈夫です、とだけ返した。いやでも本気どうしようかと思った。ありがとう竹谷。まじで助かった。空気読めない子だとかいういつかの言葉を撤回するよ。本当、ぱっちりした大きな目で見つめられてどうしようかと思った。まぁどうしようもないのだけど。久々知は割と自分好みの顔しているから恥ずかしくって仕方なかった。ふぅ、と一仕事終えたかのようなため息をつく。なんだか妙に疲れてしまった。しかも五年生はなにやら言い合っているし。自分が招いたこととはいえ、早く終わらないかなー…、などと遠くを見つめてみたりした。

「大体お前が紹介しないのが悪い」
「紹介しようとしたところに水をさしたのは三郎と兵助だろ」
「それは悪かった」
「あぁもう、二人とも両成敗ってことでいいでしょ?兵助は謝ったし、三郎も気になってるなら先送りするようなことしない」
「へいへい」
「八、」
「あぁ、わかってるよ」

 ぼんやりと聞いていた言い合いから察するに、五年生はまとまりがないようであるようだ。まぁつまり時と場合によるって感じみたいではあるが、この賑やかさは年相応という感じがする。不本意ではあるが大分長い時間を過ごしてきた自分にしては失ってしまった若々しさだ。肉体年齢からいえば自分の方が若くいるのだけど。本当、この年頃の子供は賑やかだなーなんて思いながら途切れてしまった言葉から繋がるように簡潔に紹介され、よろしくお願いします、と一言だけ告げて軽く頭を下げた。

「へぇ…あの噂の、ねぇ」
「先日は一年生にとんでもない噂を吹き込んでくださってありがとうございました。鉢屋先輩」
「…三郎?どういうこと?」
「あっいや、雷蔵、違うんだ」

 じろじろと無遠慮に眺めまわしてきた鉢屋に笑顔でそういってやると、不破の雰囲気は一気に氷点下となり、鉢屋は面白いくらいに狼狽し始めわけのわからないことを言い出した。一発殴ってやろうとは思っていたが、今はこのぐらいにしておこう。なんといったって不破が思いのほか、とても怖い。どうやら雷蔵様というものは本当に存在したようだ。
 直視しがたい光景からさりげなく目を逸らせば竹谷と目があった。すかさず笑みを見せてくれる竹谷にほっと胸をなでおろし、双忍から気持ち距離を取った。すまない、さすがに雷蔵様は怖い。

「あぁ、そういえば、さん、今度うちの委員会においでよ。みんな気にしてたみたいだからさ」
「あっ兵助、抜け駆けはよくないぞ!おい、、次は学級委員長委員会に来いよ、歓迎するぞ!」

 そんなこといわれても後ろで超笑顔で鉢屋を見つめている不破がいるんですけど背後に逃げんじゃねぇよコラっていう文字を背負ってるんですけど鉢屋汗だくなんですけどこっちよるなよ馬鹿野郎!
 なんていえるはずもなく。

「三郎…また後でね」

 面白いくらいに鉢屋が固まった。

「それより、君たちずるくないかな?さん、図書委員会にもおいで」
「あっ、あー…はぁ…」

 先ほどとは違って朗らかな笑顔になんとか笑みを返してみるが、なんだろうか、この取り合いは。こんな引く手数多に誘われるほど良い物件でもないような気がするのだが。
 そしてまた始まった言い合いにぽかん、としていれば横に引き寄せられた。ごつん、と側頭部がぶつかる。地味に痛い。

は生物委員に貰う」

 そういうと同時に後ろから腕を回し肩を掴まれて抱き寄せられるような格好になった。なんという。美味しい状況。

「…え?」
「いやか?」
「そう、ではないんですが、」
「そうか!孫兵も喜ぶぞ!」
「八、まだその子は生物に入るっていってないよ」
「でも嫌がらなかったじゃないか」
「ていうかそいつ、誰も嫌がってねぇよ」
「だから火薬委員においで」
「はぁ」

 本命キャラに抱き寄せられるというアクシデントに思考停止しつつも、適当に返事をしていればまた何やら騒がしいことになった。言い合う五年生にまたか、なんてそんなことを思いながら眺める。しかし、なんというか…若いなぁ。このぐらいのことでぎゃあぎゃあ言い合いをできるなんて、若い。その一言に尽きる。自分にもこんな時期があったなぁ、と思い出し少しだけ切なくなった。

「こら、お前たち。あんまりさんを困らすんじゃない」

 言い争いが激化していく中で後ろからあきれた声がため息と共に降ってきた。くるり、と振り返ればやはり呆れ顔の土井先生がいる。素早く立ち上がり道を開けると、一瞬だけ目を丸くして笑い、頭を撫でてくれた。優しい笑顔だ。この人は忍者しているときとギャップが激しそうだなぁ。暢気にそんなことを考えるが、そんなことを言い出したら、みんなそうなのだろうと思い直した。忍者なんていう職業は二面性を求められるものだと思う。忍者の顔と、人の顔と。いつも思うが、難儀な職業だよなぁ。茨もいいところである。
 またもつらつら思考を巡らせながら、ついておいで、という言葉に素直についていき、土井先生の隣に座った。先ほどまでわいわいやっていた四人の怪訝そうな、不思議そうな視線が突き刺さる。あぁ、隠れたい。

「さて、四人とも。ここに集められたのは何故かわかるな?」
「実習の相手が忍術学園では不足、そして技術の足しになるほどの腕の者があまり育っていない、と聞かされました」
「まぁ要訳するとそうだ」

 久々知の正直すぎる言葉に土井先生が苦笑した。事実ではあるのだが、もう少しオブラートに包んだ方がいいと思う。

「先生、一つ聞いてもいいですか」
「なんだ?言ってみなさい、三郎」
「私たちは五年生の中でも腕の立つ方だと認識しています。だからこそ今回のようなことが起こった」
「そうだね」
「そんな私たちが呼び出された場所に三年生がいる、ということが不思議でなりません」

 つまりお前は自分たちと同等の力があるんだろうな、と問うているわけだ。鉢屋は。話している最中でもずっと探るような視線を隠しもせずにしていたし、わからないわけでもないがこうも真正面から来るとは思わなかった。いや、予想の範囲内ではあるがこうも喧嘩腰で来るとは。真っ直ぐに見つめてくる鉢屋を同じように見つめ返して、ため息をついた。あーぁ、もう面倒くせぇ。

「その疑問は尤もだ。今回のこの子の役割はお前たちと同じではないが、その質問に答えるとなるとさんはお前たちと同じだといえるし違うともいえる」
「…意味を図りかねます」
「そのうちわかるさ」

 それ以上は許さない。そう言わんばかりに笑顔で誤魔化して会話を終了させた。うん、そうか、まさかこうも早く片鱗を見れるとは。伊達に忍者の先生をしているわけではないってことなのだろう。鉢屋が大人しく引き下がった。いや、引き下がるしかなかったといえる。それほどに有無を言わせない強さだった。

「さて、本題だが」

 土井先生がぽん、と頭に手を置く。

「今回の色の実習は花桜楼という遊里にて行うが、そこへはさんが案内してくれる。ちなみにそこはこの界隈では一番大きく真っ当なところだ。口利きしてくれたのもさんだからあまり粗相のないようにな」

 これでもかというほど四人の目が見開かれる。そして視線が突き刺さる。土井先生はにこにこ笑っている。なんていうか、逃げたい。強くそう思った。


***


 花桜楼はこの業界では一番真っ当だといわれている遊里の老舗だった。忍術学園から一日と半日ほど歩いた場所にあるそれは昔と変わらずそこにあり、出入りする人たちも笑顔で賑わっていた。変わらない懐かしい光景。自分がいなくなった後もこうして繁盛し続け、この業界では真っ当な道を歩んできているのだろう。あまりにも変わり映えしない光景に口元が緩んだ。

「まさかお前がこんなところに口利きできるとはな、思いもよらなかった」
「えぇ、まぁそうでしょうねぇ」

 鉢屋のため息交じりの言葉に同意だといわんばかりに言葉を返した。事実、ここにお世話になる前までは可能性すら考え付かなかった。まさか自分が春を売る店、しかも老舗にお世話になるとは。幸か不幸か真っ当な店にお世話になれたことは感謝はしているが、やはり恋慕や情欲の酸いも甘いも否応なしに見せ付けられるために、どことなく渋い気持ちを禁じえない。全く、長い時間を生きてはいるというのに衝撃が強いったら。数年前のことを思い出して遠くを見つめた。うん、頑張ったなぁ・・・。

「あっ!」

 ぼんやりと店を見上げていれば懐かしい声が聞こえた。視線を地上へと戻せばすぐ目の前には満面の笑みを浮かべて地を蹴る子供。飛び込み先はもちろん自分だ。驚きに目を丸くして、一瞬で受け入れ態勢を整えた。腰を落として腕を開き、勢いのまま飛び込んできた子供と共に後ろへと倒れる。受け身をとることはすでに癖となっているために意識して行わなかった。ぎゅう、ときつく抱きついてくる子供は額を人の胸あたりにぐりぐりと押し付けている。地味に痛い。

「啓四郎・・・」
さんさんひっさしぶりー!なに?出戻ってきたの?あいつに嫌気がさしたんだろ!だからあれほど行くなっていったじゃないか!俺と一緒にいたほうが楽しいに決まってんだからさー!あんな偏屈で仏頂面な堅物と付き合うことなんかないっての!将来有望で顔もそこそこでいい男に育つ俺にしとけば間違いはなかったのに!んで元気だったかさん!」
「あぁ、うん、元気だったよ啓四郎・・・。・・・お前も元気そうでよかった」
「おぅ!」

 一息で言い切ったんじゃないかと思うほどに矢継ぎ早に言葉を浴びせられ、いろいろ突っ込みたいところもあったがその気力は見事に削がれてしまい、無難な言葉を返した。啓四郎は気にもとめず社交辞令に近い言葉ににこり、と嬉しそうに笑って人を馬乗りにしている。ずしり、と腹にかかる重さに大きくなったなぁとしみじみ思った。可愛らしく育ったのに中身は変わらないなぁ、とも。

「あー・・・さん・・・」
「あ、」

 遠慮がちに名前を呼ぶ声に四人のことをすっかり忘れていたことに気づく。四人を見上げれば呆れたかのような驚いたかのような、非常に微妙な顔だ。気持ちはなんとなく察することができるので申し訳なさそうに笑うしかない。いきなりこんな場面見せられても困るだけだよなぁ。乾いた笑いで頬が引きつった。
 つい、でそうになるため息をかみ殺して謝ろうかと思い、上半身を起こしつつ、いまだに人の上に乗っかっている啓四郎を退かそうと肩を押すが動いてはくれなかった。察しの良い啓四郎にしては珍しい。眉を寄せて啓四郎を見れば四人を見上げて怪訝そうな顔をしている。着物を握る力も強くなり、いきなり人の頭を抱え込んだ。何事だ。

さん、こいつら、誰?」
「おやっさんに聞いてないのか」

 突然抱きついてきた啓四郎の言葉に驚いたが、あの人ならこのくらいはしそうだなぁと思った。あの愉快犯め。


***


 啓四郎にとりあえずおやっさんを呼びに行かせていつもの部屋にいる、と言伝を頼んだ。啓四郎以外の従業員は今回の依頼を教えられていたらしく、再会を喜びをすれど四人には怪訝そうな目を向けはしなかった。いらっしゃいませ、と綺麗なお辞儀と笑顔で対応していた。相変わらず教育が行き届いているったらありゃしない。数人の新人らしき人がいたがその人たちまでほぼ完璧なお辞儀をするもんだから、おやっさんの執念を垣間見た気がした。いまではそれも懐かしいものであるけれど。
 どこもかしこも懐かしさを帯びる光景に、いろいろあったなぁ、なんて過去を振り返りながら四人を先導するかのように歩き、一つの部屋へとたどり着く。そこにたどり着くまで一言も話さず、大人しくついてきた四人に座るように促し、おやっさんを待った。緊張でもしているのか一言も話さない。その代わり視線を痛いほどに浴びせられている。主に自分にへばりつく人間に。

「なぁなぁさん、おやっさんも酷いよなぁ。俺にだけ秘密とかしちゃってさ」
「うん、そうだねぇ。でも姉さんたちに聞けば啓四郎が喜ぶだろうからっていってたけどねぇ」

 この部屋にたどり着くまでに鉢合わせした遊女の姉さんたちは、こぞって人を抱きしめ、更に姉さんたちを呼び寄せるもんだから大変だった。そこらかしこから飛んでくる言葉と質問に、困ったかのように笑いながらきちんと言葉を返せばまたもや抱きしめ地獄だったから本当に大変だったのだ。そこまで好かれるようなことはしていないと思うのだが、きっと久々の再会だからだろう。啓四郎はここまでではないにしろ可愛がられているし。・・・昔からそうだったという記憶は心の奥底にしまっておく。
 女の人はやわっこくていいなぁ、と、どこか変態じみだことを思いながら啓四郎がいれてくれたお茶をすする。啓四郎は言葉が乱暴ではあるが、おやっさんの教育が行き届いていないわけではない。だから給仕もこなせるし人前ではちゃんとした言葉遣いで話す。ただ気心の知れた人たちには素へと戻るだけなのだ。

「上手くいれられるようになったな」
「ほんとに?!」
「うん、美味しいよ。毎回啓四郎にお茶入れてもらいたいくらい」
さんが嫌がっても俺が入れるし!」

 嬉しそうに後ろから被さってくる啓四郎にありがとう、と一言告げてお茶を飲む。あぁ美味しい。背中に張り付く啓四郎は重いが昔と変わらず慕ってくれる姿が可愛らしく、嫌な気はしないために好きなようにさせている。姉さんたちは甘いというがこれでいいと思う。それを告げれば啓四郎ばかりずるい、と姉さんたちは口を揃えて言った。いや、そんなことないと思うけど。

「だからさぁ、さん戻ってきなよ。俺が一生面倒見るからさ」
「そうだねぇ」
「おやっさんにいろいろ仕込まれてるしよ、もう少し成長したら外に出て仕事しようと思うんだ。おやっさんにも勧められてるし、安定したら迎えにいくな!」
「まずは一人で生きれるようになってから言いなさい」
「そんなのいつになんだよ」
「おやっさん判断かな」
「えぇ?先長くね?」
「大体自分は啓四郎に面倒を見てもらう筋合いないんだけど」
「俺にはある」
「ないよ」
「あるったらあるの」

「・・・・・・・お話中悪いが、少し良いか?」

 強情な啓四郎に何故、と聞こうとしたところで鉢屋が割って入ってきた。啓四郎は不愉快そうにぎゅっと眉を寄せて人の首に巻きつけている腕に力を込める。息苦しくはないので放置して、ものすごく真面目な顔をしている鉢屋に目を向けて先を促した。どことなく引いている雰囲気に首を傾げつつも、この店に入って初めて口を開いたためにそちらの方を優先した。

「なに?」
さんにもいろいろ聞きたいことがあるんだが、まずはそこの・・・啓四郎といったか」
「はい。わたくしはお客様の名前を存じ上げませぬが、何用でございましょう」

 鉢屋が一瞬停止したが、まぁ仕方ないだろう。あの乱暴な口調の子供からまさかこんな丁寧な言葉がでてくるとは思わないからだ。しかも刺々しい。どうやら敵だと判断を下したらしい啓四郎は鉢屋だけでなく、四人ともに敵意をむき出しだった。どうしたというのか、全く。

「・・・私は鉢屋三郎という」
「では改めまして鉢屋様、わたくしは啓四郎と申します。一体何用でございましょう」

 あぁ刺々しい。あからさまな他人行儀と営業スマイルに一触即発の空気だ。しかも鉢屋と啓四郎を結ぶ直線上に位置するために逃げることもできない。仕方なくお茶をすすった。

「不躾で悪いと思うが、お前、男だろう?」
「見てわからないのなら鉢屋様の目は余程の節穴かと」
「ではお前に一つ助言だ」
「・・・なんでしょう」
「まだ早い。女を知ってからでいいだろう」

 鉢屋が大真面目な顔をしてそういいきった。啓四郎と二人で目を丸くして鉢屋を見つめ、他の三人に目を向けるがどいつもこいつも苦笑するばかりで何も言わず、鉢屋の言葉を肯定している。つまり、なんだ。男色だと勘違いしているのか、この男は。いや、この男たちは。
 ぽかん、と呆れたかのように見つめてはみるが、現在の自分の状況を考えると仕方のないようなことに思えた。というか、仕方ない。くのいち教室ではなく、忍たまに混ざっているのだ。しかも体の成長はいまいちであり、どちらかといえばつるぺったんもいいところで、男児の体つきに近い。長年の栄養不足がたたり、体の成長はまったくもってできていないのだ。三年生の中でも体格は群を抜いて小さいし、もしかしたら二年生と言われても差し支えないのかもしれない。そしてこちらとしては性別は明言しておらず、顔つきはどちらかといえば男顔、つまり中性的なのだ。勘違いして当たり前である。
 さて、どうしたものか。そう考え始めると同時に啓四郎が動いた。雰囲気からして何やら意地汚く笑っているようである。何を企んでいるのやら。

「鉢屋様、わたくしは男も女も、恋慕や情欲というものも知っております。知った上で、男も女も関係ないかと、そう考えております。わたくしはさんというお人を、心から恋い慕っておりますゆえ、性別など関係ないのでございます」

 とんでもないこといいだしたな、啓四郎よ。

「…そうか、遊びでなければ私も口をだすつもりはない」

 見事に勘違いしよったな鉢屋よ。そして後ろの三人もうなずいているんじゃない。
 もうやだなにこれ。若干涙目になりながら、呑気にこれで公認だぜさーん!などと纏わりついてくる啓四郎にため息をついた。からかうためとはいえ、恋い慕うなんていう言葉を使うことなどないだろうに。好きな人ができたときに使うものだ、それは。

「…クッ、はははははははははは!!!」

 ついに邪魔だ、と啓四郎をはがしにかかっていれば、障子戸の向こうからやけに大きい笑い声が聞こえてきた。啓四郎が瞬時に障子戸を勢いよく引き開ける。廊下に転がって笑い続けるおやっさんが、そこにいた。

「ていうか覗いてんじゃねーよおやっさん!バレバレなんだっつーの!さっさと入ってこいや!!」
「あー、すまん、面白そうなことやってたからな、ついつい眺めてしもうたわ」

 目じりに浮かんだ涙をぬぐいつつも、快活に笑って敷居をまたぐ初老の男性。この遊里の頭、支配人であるおやっさんだった。

「何が面白いことだよボケが」
「手塩にかけて育てた子たちの恋の行方だぞ、これを面白がらないわけがなかろう」
「まず案じたらどうなんだよ。まだ啓四郎の"甘えた"がなおってねーじゃねぇか、ぁあ?」
「クッ、ははははははははははは!やはりそう来るか!!」

 我慢ならん、とばかりにまた爆笑をかますおやっさんは、ついに畳に転げ回り始めた。隣では啓四郎が「甘えたってなんだよ!俺は本気なんだぞ!いつまで子供扱いしてんだよ!!」なんてわめいている。あーほんともういや。ある意味凄惨な光景に涙目になって遠くを見つめると、ぽかーんとしたままこちらを見ている四人が視界に入った。おやっさんの行動や言動に驚いているのだろう。わかる、わかるぞ、みんな。この人はどこか可笑しい。

「あー…ともかく、おやっさん。そろそろいいか」

「あー苦しいったらないな。…わかっているからそう睨むな。俺の息子が縮み上がる」
「そのまま不能になってしまえ」

 氷点下な視線を向けたまま吐き捨てると、いまお前は男を敵に回した!などと騒ぎ始めた。この人、本当に大人なのか?いちいち子供くさすぎる。ため息をついた。

「…さて、と。鉢屋さん、不破さん、久々知さん、竹谷さん」
「あっ、あぁ」
「う、うん」
「ん」
「…おぅ」

 多種多様な返事によし、と腰に手を当てておやっさんを見やる。

「今回の実習内容とかは全部おやっさんに話してあります。確認のため、打ち合わせを。そして本番は数時間後になります。良いですね。あとはこのおやっさんに聞いてください」
「そんな嫌そうな顔全開で紹介されても不安しか残らないんだが」

 即座にそう突っ込んできた竹谷にはきれいに笑顔を返した。

「これでもこの遊里の頭です。仕事はしますよ」

 ほんとかよ…、なんて言葉はスルーした。  あー、早く帰って昼寝したい。いい加減うるさい啓四郎にヘッドロックをかけて黙らせながら、ぼんやりとそう思った。






(2012/02/09/)