まずった。そう思ったが時はすでに遅し。

「僕のジュンコが…、なんですって?」

 ゆらり、とこちらのほうへ顔を向ける。眼差しは鋭く、今にも人を射殺さんが如く睨みつけている。それに内心泣きそうになりながらもなんとか目を丸くするだけの反応に抑えた。思ったことを口にだしてしまうことは多々あったが、迂闊だったなぁ。そこにまで気を配れていなかったということは、割と緊張していたのかもしれない。しん、と静まり返る教室の空気が痛い。

「ご、ごめんなさい。山にこもって自給自足の生活が長かったから、つい、そう、みえちゃっ、て…」
「君がどのような生活をしてきたのか興味はない」
「はい…」
「君の考えでそう決めつけられては迷惑だ」
「申し訳ないです…」

 これは完璧自分が悪い。深々と土下座する勢いで頭を下げた。正座していたからそれに近い格好ではあったが。伊賀崎の未だに鋭い視線が後頭部に刺さる。うん、転校一日目でやっちまったって感じがびしばしする。いや、やっちまったことに間違いはないのだけど、ここまで剣呑になるとは予想外だ。いっそのこと怒鳴り散らしてくれればまだ空気は軽かったのになぁ。相変わらず教室内は静かであるし、どうしたものか。ゆるゆると頭をあげれば真っ先にジュンコと目があった。なんとなく感じるジュンコの意思を怪訝に思いながらも思わずへらり、と笑う。が、それがいけなかったのかジュンコが突然牙をむいた。

「ぉ、わっ」
「っ、ジュンコ!」

 咄嗟に構えた腕にジュンコが噛みつく。伊賀崎が制止の声を上げたことですぐさまに離れはしたが、腕には穴が二つ開いた。ジュンコって確か毒蛇だよね、確か蝮だったはず。開いた穴から溢れ出す血や慌てたように名前を呼ぶ土井先生の声、騒然となる教室内をどこか別世界のことのように感じながら冷静にそんなことを思い出していた。

!」
「はい、なんですか?」

 切羽詰まったかのような土井先生の声に聞き返しながら苦無を取り出して躊躇いもなく噛み痕を切開した。驚愕した雰囲気が全体から伝わってくるが構ってなどいられない。毒抜きは時間が勝負だ。切り開いた部分を口で吸いながら立ち上がり、窓まで歩み寄る。下に誰もいないことを確認してから口に含まれる血液を吐き捨てた。その行為を何度か繰り返す。若干毒が回ってしまったようでくらくらするが医務室にいけば問題ないだろう。このぐらいでいいか、と腕に巻いてあった布で血止めした。

「先生、ちょっと医務室に、いって、も、」

 くるり、と振り返れば皆が皆、ぽかぁんとした間抜け顔でこちらをみている。あ、またなんかやっちゃったっぽい。でも毒抜きは急がないといけないし、蝮は注入量が少ないとはいえ毒性が強かったはずだしなぁ。困ったかのように頭をかきつつもとりあえず居た堪れないからへらりと笑って、同じように間抜け顔を晒している伊賀崎を見た。目があった瞬間にびくつかれる。なんていうか、申し訳ない。軽く頭を下げた。

「伊賀崎さん、ジュンコさんを刺激してしまっていたようですみませんでした」
「え、いや、僕のほうこそ…」
「別に謝罪はいりません。悪いのはこちらですし、ジュンコさんは伊賀崎さんが敵意を向けた相手を排除しようとしただけです。制止の声にもすぐさま反応して離してくれましたし、訓練されているいい蛇だと思いますよ」

 にこりと笑っていいきった。本当にジュンコは伊賀崎が好きだよなぁ。思いっきり敵意を感じたし。動物は大事にされているということはわかるし注いだ愛情だけ、とはいわずそれ以上のものを返してくれるから、たったあれだけで伊賀崎を守ろうとするんだから伊賀崎も本当にジュンコがすきで仕方ないんだろう。相思相愛か。
 微笑ましい、と笑いながらそんなことを考えていたら伊賀崎はぐっと言葉を詰まらせたかのように口を真一文字に引き結び、口を何度か開け閉めして俯いた。なんだか思っていたよりも表情豊かだなぁ。意外だ。そんなことを思いながら伊賀崎の隣に戻って、ジュンコにも一言詫びを入れておいた。伊賀崎の敵意が失せたからか、ジュンコはこちらを見つめるだけだった。

「…さて、一段落したところでさんは医務室にいってきなさい。伊賀崎はそれに付き添うこと」
「はい」
「…わかりました」

 成り行きを見守っていた土井先生が指示をだし、それにそれぞれ返事をする。ついてきてくれ、といって立ち上がった伊賀崎の後に続きながら教室を出て、土井先生の今日は孫子の、とかいう言葉を障子戸でぶった切った。兵法、興味があったんだけどなぁ。前を行く伊賀崎に気づかれないように溜息をついた。廊下は静かな空間だったが、遠く喧騒が聞こえる。賑やかだなぁ、と外を眺めながら歩いた。

「…すまなかった」
「え?あぁ、謝る必要は、」
「でも怪我をさせたことには変わりない。それと…」

 前を行く伊賀崎の突然の謝罪に驚きつつもそう反応すれば律儀な言葉が返ってきた。人がいいといっているのに真面目だなぁ、なんて思いながらすらりとした背中を眺める。何を言い淀んでいるのか。大人しく黙って言葉の先を待った。

「…、……、…ありがとう」

 小さく聞こえたのは感謝の言葉。どうやら自分の言葉が嬉しかったらしい。なんだ、なかなかに可愛らしいところがあるじゃないか。あの時の反応はどう対応すればいいのかわからなかったのだろう。あぁ、藤内の気持ちがわかるよ。これは自分の妄想上のことだから実際にはどうなのかは知らないけども。

「詫びとして学園を案内する」
「あ、いや、そこまでしてもらうわけには、」
「する」
「…助かります」

 結構強情なところがあるみたいだ。






(2009/06/06/)