「これは遠いところからよく来なさった」
「お初お目にかかります、学園長先生」

 深々と頭を下げる。それに学園長である大川平次渦正は頭をあげなさい、と笑みを深くした。かぽーん、という鹿威しの音が響く。この庵だけ切り取られたかのような、酷くゆったりとした空間が形成されている。ここが忍術学園であることを忘れてしまいそうだ。
 ゆっくりと顔をあげて居住まいを正した。

「このたびは無茶な申し出、快く受けていただきありがたく存じます」
「そう硬くなるでない。なにより、わしの先輩だった息子の頼みだ。断るわけがなかろうて」

 そういって笑う学園長に笑みを浮かべる。引き攣っていないか心配だったが様子を見る限りでは平気そうだった。相手は天才忍者と呼ばれた人だから、実際はどうなのかわからないけど。
 おじさんに聞かされたときは驚いたものだ。

「折角の機会じゃ、お主には物足りぬかもしれんが存分に学び、この忍術学園で良い技術を盗んでいくが良い」
「ありがとうございます」

 まさか拾い主が忍術学園と縁があったとは、世界とは良くできたもんだ。


***


 宛がわれた部屋で制服に腕を通す。桃色の綺麗な布地ではなく、若葉色の制服だ。数えでいえば大体六年生の年ではあるが、成長が数年ほど止まっていた時期があったから外見年齢は十二か十三ほどなのでこの色の学年、三年生へと編入することになったのだ。性別でいえばくのいち教室となるのだが、くのいちとしての技術は必要ないし学ぶつもりもない、とおじさんに話してみればこの結果へとおさまった。おじさん曰く、自分は外の世界も見たほうがいいらしいとのことで、その考えのもとの入学だった。幸太も同等の理由で忍術学園を卒業しているらしい。あの山田利吉とはライバルで親友なんだとか。世間は狭い。そう思った。

「準備はできたか?」
「はい、土井先生。おまたせしてすみません」
「いや、いいよ。では行こうか」

 ぼんやりと巡らせていた思考から返り、慌てて障子戸を開ければ土井先生が慌てなくてもいいよ、と笑って頭を撫でてくれた。それに礼を述べつつ、土井先生の斜め後ろを歩く。どうやら午前の授業は土井先生による兵法の授業なんだそうだ。三年生からいくつかではあるが、科目により先生が変わるらしい。土井先生はは組の担任でもあるのに大変だよなぁ、と前を行く背中を眺めながらしみじみ思った。

「ここが今日から君の教室だよ。一緒に入ってきてくれ」
「はい」

 自分の返事を聞いてまた笑みを浮かべて、障子戸を引いた。

「おはよう」

 教室に入ると土井先生の姿と挨拶に元気よく挨拶が返ってきたが、その後ろを歩く自分に気付くと大抵の生徒はすごく不思議そうな視線を寄越してきた。それに密かに片眉をあげて驚くがすぐに合点がいく。この様子からするに、聞いていないのだろう。編入生が来るということを。まぁどうせ主犯は学園長で、編入生の存在を隠しでもしてプチサプライズって感じにでもしたかったのだろう。漫画でも大層な迷惑爺さんだったからなぁ。そんなことを考えながら内心、溜息をついた。黒板に人の名前を書く土井先生の隣に並んで前を見れば興味津々でいて、訝しげな目。面倒だなぁ。

「みんなにはまだ伝えていなかったが、今日からこの三年い組に編入することになったさんだ」
です。よろしくお願いいたします」

 軽く頭を下げればどこからともなくよろしくー、という言葉が飛んできたり不躾に眺められたりと、反応は様々だ。まぁこんなもんだろうな、と土井先生を見る。見上げた意図がわかったらしく、教室を見渡して腕を組んだ。この人は察する、ということに長けた人だ。そうじゃなきゃは組の担任などやってられないのだろうか。

「そうだなぁ…。伊賀崎の隣が空いているし、君の席はそこにしようか。伊賀崎!手を挙げてくれ」
「はい」

 なんとも無機質でいて平坦な声が聞こえてきたと同時にすらり、と伸ばされた手に気付いて、目を丸くする。紙媒体でも思ったが、こいつは美人だよなぁ。首に赤蛇のジュンコを巻いて長机に一人で座っている伊賀崎を見て、素直に感心した。その様子をどう思ったのかい組の生徒たちからはやっぱり…、とか、よりにもよって…、とか、伊賀崎か…、とかそんな言葉が聞こえてくる。どうやら毒虫を好む伊賀崎は敬遠されているらしい。どうちらかというと、触らぬ神に祟りなし、とか。そんな感じだ。まぁ伊賀崎本人が他人に興味がなさそうであるから、それで支障はなく上手く周りとやれているのだろう。
 そう分析しつつもいつまでも挙げさせているわけにもいかないから伊賀崎の隣へと移動して座る。やはり興味なさげな伊賀崎に一応声をかけた。

「よろしく、伊賀崎さん」
「あぁ」

 それだけかい。視線も寄越さず、忍たまの友を開いた伊賀崎に目を丸くすると、首に巻いているジュンコと目が合った。そして一言。

「ねぇ、この蛇は非常食?」

 確かに空気が凍ったのを肌で感じた。






(2009/05/24/)