泣き暮らしていたけど、いまでもたまに泣いてしまうけど、一人で生きることが普通になってしまっていた頃だ。
 近くで戦が起きた。
 おじいさんやおばあさんに仕込まれた炊事能力や畑仕事のおかげでなんとか細々と生活できていたときに起こった戦。危ないなぁとは思いながらも、近いといえば近いけど距離もあったし大丈夫、関係ないだろうと、そう高をくくっていたのがいけなかった。
 まだ三人で暮らしていた頃から世話を焼いてくれていた村の人が家に飛び込んできた。顔を真っ青にさせて逃げろという。驚いて収穫してきた野菜を落とすと、村の人は兵が攻めてきたというのだ。そのことに更に驚いて目を丸くし、とにかく逃げろという村の人の言葉に首を縦に振った。絶対だ、絶対生き延びるんだぞ!、と叫んで村の人は村中に知らせに走るために飛び出していく。その背中を見送り、へたり、と力なく座り込んだ。戦。兵。攻めてきた。これでもあり得ないことにいくつかの戦に関わってきた身だ。目的などすぐさま予測がついた。本当にもう、いつの時代も戦いばかりで嫌になる。柄悪く舌打ちし、生き延びるために逃げる準備をした。死にたくない。死にたくない。死にたくない。それはいつも思っていることだ。自分が大事。だから最優先に自分の身の安全を確保することを考える。あぁ、だけど、この家からはでていきたくなどなかった。
 ぐっ、と口を真一文字に引き結んで少ない荷物を纏めた。背中に背負って、家を見渡す。決して広くはないし綺麗な家ではなかった。でも、すごく暖かくてずっとここに住んでいたかった。離れたら忘れてしまうほどあの二人の存在は軽くなどなかったけど、この家には三人で過ごした時間があるから離れたくなどなかったのだ。ここで一生を終えるつもりでいたのに。いたのに。
 そんな淡い夢さえ叶わないというのか。

「・・・いつだって理不尽だな、世界は」

 呟いた言葉は村中に響き渡る怒号と悲鳴にかき消された。


***


 おじいさんとおばあさんが残してくれたものは炊事能力や畑仕事だけではなかった。あの人たちはなんと、若い頃は腕の立つ忍者だったんだそうだ。引退しこのような和やかな村に隠居した後でも多少の情報屋のような仕事をしていたらしい。主に重要書類の中継を行っているようだったけど、それでも十分すごいことのように思えた。通りでかなり高齢のようなのに元気に畑仕事やら狩りにやらでかけられるんだな、と感心したのは随分昔のことだ。本当、畑仕事に関してはおばあさんの年齢を考えるとあまりにも立派な畑を作り上げるものだから不思議に思っていたのだ。
 そのおじいさんとおばあさんにこのご時世だから、と忍者としての能力を叩き込まれた。炊事も畑仕事も全て体作りに役立っているし、実に無駄の無い鍛え方だった。飴と鞭の使い方は非常に上手で何度感心し呆れたことか。もう覚えていない。それぐらい上手だったのだ。流石は年の功で忍者だ、とも何度も思った。
 そうして自分はそこらへんの山賊などを秒殺できるようにまで育っていった。あまりにも人に教え込むことが上手いから直球で何故、と聞いてみたら、本当にすごく昔に忍者を育てる学校で先生をしていたらしいということを笑って聞かされた。あぁだからか、と納得はしたがきっと教えるということに天性のものがあったのだろうと思う。おじいさんとおばあさんは飲み込みが早い、といって褒めてくれたけど、それは経験があるからで、そんな自分が何故だかとても寂しくなった。頭をなでてくれていた手は暖かくて、笑って大人しくしてはいたけど。
 そしておじいさんとおばあさんは人を殺す術を教えておきながら人を殺すなと口をそろえて言った。

「そこの人。隠れてないででてきてください」

 燃え盛る村を眺めて誰に声をかけるわけでもなく、前方を睨みつけたまま口を開いた。数秒の間をおいて動き出す気配が一つ。敵か、と振り向けば案の定黒装束の男が立っていた。気配やぶつけられる殺気からして明らかにいま、村を攻めてきている軍の者だろう。感傷に浸りすぎたか、と内心ため息をついた。

「私に気付くとは大したものだな、小娘」
「それはどうも。その熱烈な視線が痛いのでもう行ってもいいですか」
「それはできぬ相談だ。村人は例外なく処分しろと上からの命がある」

 あぁ、人扱いすらされてないのか。

「そうですか」

 おじいさん。おばあさん。貴方たちは人を殺す術を知っていれば人を生かす術もわかるでしょう、と言っていたけど、やはり人を殺す術はそれ以上でも以下でもないんです。
 ごめんなさい。約束を破ります。

「悪く思うなよ、小娘」

 自分は死にたくないんです。


***


 死にたくない。死にたくないから、自分は武器をとる。間近に死の恐怖を感じたくないから、感じさせたくないから戦う。それは世界を何度隔てても変わってはいない。

「…だからって、別に殺したいわけじゃないんだけどさ」

 例えば。逃げても逃げても逃げきれないとき。こういうときは怖くても泣き叫びたくても生き残るためには戦うしかない。避けられる戦闘はもちろん避けるけど、大切な人が戦場に立つなら自分も立つ。隣にいて死なないように立ち回る。例え自分が死のうともその人が生き残るならそれでいいと思うんだ。自分は人間として最低最悪だから、真っ先に死に向かうべきだと思うから。だからといって死にたいわけじゃないし生き残るために最善の努力はするけど、やはり死人がでるときは真っ先に自分のほうがいいと思うんだ。師匠あたりは怒るし叱るだろうなぁ。いや、みんな、みんなやっぱり怒って怒って叱って、泣くかもしれない。でも、どうしても無理なんだよ。あの時の感情がずっと燻っている。きっと一生無くならない。そして、変えられない。だから自分は。

「…おじいさん、おばあさん、落ち着いたら戻ってきます」

 黒装束の死体を前に目を閉じて、血濡れの忍び刀から空気を切るようにして血を飛ばした。それでも汚れていたから適当に死体の黒装束で拭って鞘に収める。断末魔は聞こえなくなった。村ももう落ちる。新手に見つかる前に退散しなければいけない。くるり、と背を向けていた村に振り返った。燃え上がる炎。蠢く影。崩れ行く建物。焦げくさい、臭い。
 瞬きをすれば涙が零れた。それを手荒く拭い、背を向けて走りだす。目的地は決めていない。最悪、どこかの山に籠ればいい。自給自足の生活ができる程度には仕込まれている。
 視界はどんどん暗くなる。焦げくさい臭いも気配も何もかも遠ざかる。居心地のいい村だった。やさしい人ばかりだった。あの様子では誰も生き残ってはいないだろう。

「…ごめんなさい」

 自分は、生きたかった。






(2009/05/17/)