気がついたときにはベッドの上だった。視界を明確にしようと瞬きを繰り返す。そんなことをしていたら目が覚めたことに気付いたのか、女の子が人の顔を覗きこんできた。ツインテールの、将来有望そうな女の子。その子は目をまん丸にして、婦長ー!と叫んで走っていってしまった。なんなんだ。訳がわからないまま体を起こした。だるい。物凄くだるい。ぎゅっ、と眉を寄せて額に手を押し当てれば、ざらりとした布の感触がする。どうやら包帯が巻かれているらしい。あぁ、そういえば頭を殴られていたんだった。思い出した。アクマとかどうなったんだろう。

「婦長ー!ほら、起きたよ!」
「リナリー、そんなに走るものではありませんよ。室長にご連絡は」
「しました」
「よろしい」

 ばたばたと、騒がしい足音や指示だしの声と共にやってきたのは初老の女性だった。きつめの釣り目がよく似合い、とても厳格そうである。実際その通りなのだろう。顔に、歩んできた人生というものがでるとかでないとか、そんな話を聞いたことがある。外見で判断するものじゃない、というもの知っているけど。ぼんやりとやってきた人たちに囲まれながら、なにやら熱を計られたり質問をいくつかされ、その内容からここが病院であるということに気付いた。ということは、助かったらしい。あまり記憶がはっきりしないけど。
 なんだか声を出すのも億劫で、質問には首を振ることで答えていると先ほど走り去った女の子はベッド脇までやってきて、にこりと笑った。うん、本当将来有望そうっていか、いまの段階でも十分可愛いなぁ。

「こんにちは。私はリナリー。名前、いえる?」

 女の子の言葉が頭を通過する。目を覚ましはしたが頭は覚醒していないらしく、無言で女の子をみつめたままだった。女の子は首を傾げて答えを待っている。あぁ、なにか答えないと。

「婦長、例の子が気がついたって」
「室長」

 盛大な音を立ててやってきたのはやたら大きい人だった。その後ろには数人の、白衣を着た人たち。なんだこれ。医者が雁首揃えてなにやってるんだろう。婦長と呼ばれた初老の女性に注意を受ける様子をみて、ぼんやり思う。眠い。

「以後気をつけます」
「そうしてください」
「それより、婦長。この子はもう出歩いても?」
「平気でしょう」

 婦長がため息をつく。それに室長とかいう人は申し訳なさそうにしているけど、しているだけだった。こつこつこつ、と音を立ててベッド脇まできて女の子の頭をなでる。兄さん、とかいってるから兄妹なのだろう。足に抱きつく女の子に優しい眼差しを送る兄に、誰かを思い出した。あの人も、あの人たちもとても優しい人だった。

「起きて早々すまないが、君に来て欲しいところがあるんだ」

 どうやら連行されるらしい。眠いのに。


☆☆☆


「君の名前は?」
「・・・
「年齢はわかるかな?」
「知らない」
「君がいた街で起こったことの記憶はある?」
「一応」
「君はあの街の住人かな?」
「違う」

 思っていた通り、職務質問だった。室長は紙面から顔をあげずに、答えたことだけを書き留めていく。座らせられたソファーはふかふかしていて柔らかい。しかし、それ以上に驚いたのは部屋の有様だった。もう、すごいという言葉しかでてこない。壁一面には本棚が備え付けられ、そこには隙間無く膨大な量の本が収められている。しかも天井まで伸びているものだから驚かされる。それだけでも感嘆ものなのに、部屋は資料らしき紙の束が溢れ、床を埋め尽くしているのだから驚きを通り越して感動ものだ。こんなに大量の資料、どうやって集めるのか。分野別にそろえるの、苦労するだろうに。そんなことを思いながらなんとか見えている床を探して歩いた。すごいというより、壮絶。この言葉がぴったりの部屋だ。

「君の住んでいた場所はどこかな」
「ありません」
「ない?」
「旅をしていました」

 不躾ながらにも部屋を眺めながら答えた言葉に、室長は沈黙した。先ほどまで軽快なリズムでやってきていた質問がこない。不思議に思って顔を前に戻せば室長が、といわずその近くに立っていた白衣の人たちまでもが目を丸くして驚いていた。何事だ。

「・・・もう一度聞くよ。君、住んでいた場所はどこかな?」
「ありません。捨てました」
「・・・」

 面倒だったからそういえば、室長は絶句したようで黙りこんでしまった。やはり室長だけといわず、その場の人たちもだったけど。捨てました、はいいすぎだっただろうか。でも帰るつもりはないし、捨てたという言葉が一番間違いのないような気がする。

「・・・君の年齢、推測でいいからわからないかい?」
「・・・女の子、いたじゃないですか」
「あぁ、リナリーのことかい?」
「・・・たぶん。・・・その子、と、同じぐらいだと思います」

 やっと頭が覚醒しきって普段の速さで頭が回りだし、答えながら気付いた。リナリー。この名前が何度も出ているのに何故気付かなかった。部屋をみて、目の前の室長や婦長をみて、何故気付かなかった。ここ、教団じゃないか。大体アクマと接触した時点で予想はできたはずだ。なのに何故いままで気付かずにいれたんだ自分は。馬鹿すぎる。顔の表情筋を全く動かさずに自己嫌悪に陥っていると、人のことを凝視してまま硬直していた室長がいきなり滝のように涙を流し始めた。それはもう、突然、ダムが瓦解したかのように。

「リィーバァーはんちょぉぉお!!」
「うわっ何っすか!汚ねぇ!!」
「この子ここで預かること決定!ね!僕らの保護下に置くの決定!いいよね!!」
「そんな重大なこと俺に聞かないでくださいよ!」

 大きい大人の男の人が、男の人にすがり付いて泣く様は壮絶な光景だ。はじめてみるが、いや早々そんな場面を見る機会などないが、すごい光景だ。ぽかん、と口を半開きにしてしまい、ただ見入るしかできない。呆れて。
 くるりと振り向いた室長は涙を拭きながら、笑顔で手を差し出した。

「今日からここが君の家だよ、ちゃん」

 どうやら衣食住が手に入ったらしい。歓迎すべきことなんだろうけど、できれば早くでていきたいなぁと思った。そんなことを考えながらとりあえず、差し出された手は握っておくことにする。大きくて暖かい手だった。






(2008/12/24/)