別に嫌いだったわけじゃない。むしろ好きだった。優しい人だった。こんな素性もわからない人間を育ててくれて、無償の愛とも呼べるものを注いでくれて、うれしく思った。悲しくも思った。だから旅に出たのだ。思い出が溢れる街から遠ざかりたかったのかもしれない。あぁ、でも、自分は還ることを決めたから、だからなのかもしれない。イレギュラーはもうたくさんだ。帰って、笑い話にして、そして日常に戻ろう。そう思った。可能性なんて、信じていなかったけど。


☆☆☆


「こっちも頼む!」
「はーいマスター、いまいきまーす」

 騒がしく、五月蝿い酒場でバイトを始めて数週間がたつ。あの街を飛び出して丁度一年。路銀が尽きたから仕事をし始めたのだが、酒場はまずかったかもしれない。疲れるし、酔っ払いの相手は骨が折れる。でもここよりいい給金の仕事はなかったしなぁ。それを考えると微妙なところだ。軽く息をついて五番に持ってけ、といわれた酒と食事を手早くお盆にのせ、慣れた足取りでひしめく人間の間を通り抜け、指定されたテーブルへと向かう。途中で声をかけられたりするがそれは他の店員に声をかけることでやり過ごし、さっさと五番のテーブルへと向かうが、どうも可笑しい。人が密集、というより、野次馬が群がっているようだ。五番のテーブル、さて、どんなやつがいたっけか。内心首を傾げながらも謝りながら人ごみを掻き分けて進めば、思いのほかすんなりと前にだしてくれた。この街はならず者が少なくていいよなぁ。そうじゃなきゃ、仕事を始める街になんか選ばなかったけど。
 通してくれた人たちに礼をいいながら五番のテーブルをみる。丸いテーブルを挟んで白髪の男の子と人相の悪い男が向かい合い、それを適度な距離を保って野次馬たちが行く末を見守っていた。テーブルの上にあるのはカード。なるほど、賭け事か。大方、この不釣合いな対戦に興味津々でみんな集まってきたというところだろう。さっさと仕事に戻るべく、テーブルに近づいて笑みを浮べた。接客業に笑顔は必須である。

「お待たせいたしました、」
「そこに置いとけ」
「かしこまりました」

 どうやら邪魔はされたくないらしい。いわれた通りにお盆の上にあるものを男のすぐ近くに置き、追加注文はないか確認を取る。鬱陶しそうにいらないといわれるが、こちらも仕事だ。このくらい勘弁して欲しい。ついでとばかりに向かいあう少年にも聞いてみた。

「お客様、ご注文は?」
「いえ、僕は、」
「おい坊主」
「失礼いたしました」

 余程邪魔らしい。少年の言葉を遮ってさっさと去れといってきやがった。面倒なのでいわれた通り退散することにしよう。笑顔を保ちつつも、やれやれといわんばかりに肩を竦めて背を向ける。少し離れた野次馬たちの海に飛び込もうとしたところで、歓声があがった。五月蝿い。

「あの少年、また勝ったぞ!」
「坊主の癖してつえぇなぁ」
「男は連敗じゃないのか?」
「あぁ、最初っから勝ててねぇよ」
「あの男、最初になんかいってなかったか?」
「あー確か、身包みはがされて泣いてもしらねぇぞ、だったと思うが・・・」
「月並みだなぁ。つか、そりゃお前のことじゃねぇか」
「ははは!確かにな!」

 おいおいおいおい。これはやばくねぇか?笑い声が響く中、聞こえてきた話に冷や汗を流して後ろを振り向けば、案の定、男は顔を真っ赤にしてブチギレ寸前だ。多少の理性は残っているようではあるが・・・これはまずいなぁ。ぐっと眉を寄せて少年をみるが、少年は困ったように笑みを浮べているだけである。つまり、譲るつもりがないと、そういうわけか。暴れられると店の者としては困るんだけどなぁ。あぁ、こりゃまたどうしたもんだか。

「ここまでにしましょう」
「ほぅ、坊主、勝ち逃げするつもりか?」
「そういうわけではないんですが・・・、これ以上僕が勝ってしまうと、おじさん、着るものまでなくなっちゃうでしょう?」

 はいもう馬鹿。何いってるんだよ少年。それは完璧に地雷だよ。善意か何かなんだろうけど、それは暗にお前は俺に勝てないよといっているようなものであるし、傍から見れば煽っているようにしかみえない。その笑顔の下はどんだけ黒いんですか少年。天然だったら性質が悪い。当然のように男は憤怒の形相で立ち上がった。

「舐めてんのか小僧!!」
「え、僕はそんなつもりでは、」
「ほら続きだ!小僧!座れ!!」

 巻き上げた金をしまって立ち上がり、荷物に手をかけていた少年に座るように促した男は完璧に怒っていた。怒髪点を付くとはまさにこのことだ。少年は仕方ないなぁ、とばかりに眉を八の字にして座りなおした。が、自分は見た。見てしまった。少年が一瞬だけ、笑みを浮べたところを。ということはなんだ。まさか、男が理性を残していて情けなくも引き下がろうとしたことに気付き、わざと煽って再戦させたと。そういうことなのか。少年、どうなんだ少年。間違ってなさげだけど、少年。お前どんだけ腹黒いの!

「コール」
「ぐあぁっ、またか!!」

 青ざめたまま笑顔で勝利をむしりとっていく少年を眺めて、どこもかしこも寒々しくなっていく男に同情しながらその場を後にした。自分にだって仕事があるんだ。でもあそこにはもう近寄りたくないなぁ。幼いながらに恐ろしい奴よ。


☆☆☆


 大きな騒ぎになる前に止めに入ったおかげで、店が荒れることはなかった。なんで、どうして自分ばかり五番のテーブルに向かわせるのかとマスターを呪いそうになったけど、まぁすぎたことだし流すことにする。しかしあれは危機一髪だった。思い出して背筋が冷えた。もうあんなことはしたくない。深くため息をつきつつ、お先失礼しまーすと声をかけて外へとでた。空は星が瞬いて澄んでいる。いい夜だ。

「あの、すみません」
「はい?」

 頭上から視線を移動させ、声が聞こえた方へと視線を向ける。そこにはあの腹黒い少年が笑顔で手を振っていた。何か用だろうか、というか、今思えばみえたことある顔だ。白髪で少年、左顔面には傷。あぁ、そうだよ、主人公じゃん。

「こんばんは。いい夜ですね」
「ソーデスネ」
「先ほどは助けていただきありがとうございました」
「イヤ、それほどでもないですよ、うん・・・」
「?、どうかしましたか?」
「ナンデモナイデス」

 不思議そうな少年に対してぎこちなく、妙な顔をしている自分は相当可笑しいのだろう。いや、だって、仕方ないよ。いきなり主人公、しかも子供時代とか。妙な対応になったって仕方ないと思うんだ。それなりにファンだったしアレン様あぁ!とか言ってた身分としては、そう、仕方ない。だけどいまはそんなテンションで騒げるはずもないし、感動なんてもってのほか。困った、という思いしかでてこない。ブックマンたち以外の主要人物に、物語に関わるつもりなんてなかったし、ひっそりと帰る術をみつけて、みつからなくても係わり合いにならずにどこかで朽ちていくもんだと思っていたんだ。なのに、どういう星のめぐり合わせですかレックナート様ぁぁあ!!(あ、違うジャンルだった)

「あの、なんだか遠くを見てるようですけど、大丈夫ですか?」
「いや、大丈夫、大丈夫ですよ。ちょっと眩暈がしただけです。うん」
「えっ、じゃあ僕、送りますよ」
「あ、いや、それほど大したものではないのでいいですよ」
「そんな!体調の悪い人を放ってなんて置けません!」
「いやいや、お気遣いなく」

 いい子だね、お前。ともかく、送るといって聞かないこいつをどうしようかと思ったけど、どうにもこうにも引き下がってくれないから送られることにした。

「僕はアレン・ウォーカーです」
「自分はっていいます」

 師匠には、会いたくないなぁ・・・。






(2008/12/23/)