何度もいうようだが、不思議な人間だった。最初は持ち物だけかと思ったが、数日間一緒に過ごす内にこの人間自体が不思議で奇妙なのだと思った。俺と変わらない子供の癖して泣き言を一つも言わない。事情は詳しく聞いてないし聞くつもりもないが、十中八九捨てられたんだろうと思う。それを理解していないはずはないのに、悲しそうな素振りなんて見せなかった。見せないようにしているだけなのかとよく観察してみたが、至って普通に過ごしているようにしかみえない。その時々の感情の揺らぎはあるけど、それだけだった。これは俺の考えが間違っているということなんだろうか。頭をいくら捻ろうと少ない情報と数日の観察だけでは、この人間を理解することはできなかった。どこまでも不思議で奇妙。捨てられたにしては負の感情がなく、状況を理解していない馬鹿だと判断するには聡い人間だったのだ。俺と同じような年頃の癖して妙に落ち着いているし、取り乱すこともない。こんな子供が一人で世界に放り出されたというのに。どうしても俺は、人間が捨てられた人間以外のものにはみえなかった。たぶん、たまにどこか遠くをぼんやりと眺めている様子に、あの背中に、郷愁と哀感が漂っているのを感じたからだろう。本当に、理解しがたく、底の見えない不思議さと奇妙さが合わさった人間だった。


☆☆☆


 手を繋いで歩く。これは人間がふらふらと余所見をしてははぐれそうになるから、苦肉の策だ。どこか大人びていると感じていたのは間違いだったのか。世界に興味を示しては好奇心が赴くままにむかっていく。子供じゃないか。人間には気付かれないようにため息をついた。

「ついだぞ。ここだ」

 ブックマンの声に人間から視線を外して前をみる。歩いた時間と周りを見渡して確認する限りでは町外れらしい。こじんまりとした、小さな家。建物は随分と古いのに、どこかさっぱりとした清潔感が漂っているのは住んでいる人間の人柄が滲み出ているのだろう。真っ当な人間のようだ。そしてここに人間と同じ言葉が話せる人間がいる。ちらり、と人間をみればぼんやりと小さな家を見上げるだけで何を考えているのかわからなかった。これまでにわかった試しなどほとんどないが。

「・・・障子」
「?、なんかいったか?」
「なんでもないです」

 ぼそり、と呟いた言葉は聞きなれない人間の母国語とかいう言葉で、聞いたことの無い音に興味を示すが答えてはくれなかった。教えてくれてもいいのに。目の前のブックマンは既に扉、と思わしき板を叩いていた。なんで横に引いて開けるんだ。また人間が感動したように呟いたけど教えてはくれないだろうから黙って前をみていた。本当は物凄く気になるけど。

「やぁ、もう来たのか」
「わしらにも時間はないからな」
「そうかい。世話をかけたな」
「なに、こちらが助かっている。世話をかけるのはこれからだ」
「はは、まぁ、私が早く寄越せといったからこんなに早くきたのだろう。すまないな、つい、懐かしくて」

 板の向こうからでてきたのは、老成した人間だった。白髪の、しわだらけの顔。それでも背筋はぴん、と伸びていてどこか若々しくも見えた。大人しく観察していればばちり、と目が合い微笑まれる。気付かないわけないよなぁ、と笑みを返せば視線は逸らされ、ブックマンとの会話へと戻っていった。会話内容は朝御飯をご馳走になるかならないか、らしい。俺としてはありつきたいところだけど、朝早くに出てきたからとはいえ一応は食事を済ませていた。日も昇らない内から出立しようとしている俺たちをみて、宿屋の主人が簡単な朝食を作ってくれたのだ。一応こちらの都合だからと断りをいれたものの、押し切られて食べることになった。宿屋の主人には悪いことをしたと思うが、気前のいい人間で助かった。簡単なものしか作れないといっていたが十分に美味しかったと思う。だから別にいらないといわれればいらないのだが、俺は育ち盛りの子供。食べられるものなら食べたい。が、いつまでそんな押し問答しているのか。観察するのもそろそろ飽きた。どっちでもいいから早く終わんねぇかなぁ。ぼんやりとそんなことを考えていれば、隣の人間と繋いだ手に力が加わったのがわかった。

「どうしたんさ?」
「いえ、別に、」

 人間は先ほどから俺の言葉に答えてはくれない。何かサインを出しているのに、踏み込もうとすればそれを拒絶する。お前が気付けといわんばかりに、引いていく。気付いてほしければ自己主張すればいいのに、意思を表せばいいのに、不思議な人間もいたものだ。なんだか面倒になったから、俺も手を握り返して前を見た。驚いたように見上げてくるけど知らない振り。嬉しそうに頬を染めて下を向いたのも知らない振り。やっぱり子供か。どうやら不安で、数日間一緒に過ごした得体の知れない俺たちでも別れるのは寂しかったらしい。人間には気付かれないように笑った。

「もう朝食をご馳走になっている時間がないからな」
「お前が聞き入れないからだろう」
「お前が引かんからじゃ」
「・・・どっちもどっち、か」

 老成した人間が仕方ないようにため息をついた。

「子供を渡すぞ。少しぐらいなら英語を話せる」
「いや、いい。こちらの言葉で話そう」

 一段落ついたらしいブックマンと老成した人間がこちらを向いた。遅いっつの。

「やぁ、おはよう。私が君を引き取ることになった、高碕幸助という」

 にこり、と微笑んで話した言葉は、人間に挨拶の言葉だと教えて貰ったものしかわからなかった。あと、名前らしいと判断できるところぐらいか。ちらり、と手を繋いだ先をみてみれば目を大きく見開いて驚いた人間がいる。どうやら、人間が普段使う言葉を使ったことに驚いているらしい。聞いただけじゃ実感はわかなかった、ということか。

「・・・おはよう、ございます」
「緊張しているのかい?まぁ、徐々に慣れるといい。今日からここが、君の家だ」

 人間の挨拶に、なにやら長ったらしい言葉を返す。意味はわからないし聞き取れないが、何をいったか推測することぐらいはできる。今日からここがお前の家だとかいったんだろう。まぁその辺が妥当だろうなぁ、と何気なく手を繋いだ人間に視線をむけた。驚いた。てっきり嬉しそうに笑うんだと思っていたが、それは違っていた。人間はどこか困ったかのように笑っていたのだ。突然独りで投げ出されて拾われて言葉も通じなくて、寂しい思いも怖い思いもしただろうに、なんでそんなに困っているのか。同じ言葉を話すというだけでもかなりの安堵できるものではないのか。知らない世界に独りっきりでなくなるのに、見つけた人間も真っ当そうなのに、何故そんなに困って、戸惑っているのか。相変わらず奇妙な人間だ。

「・・・ありがとうございます。これから、お世話になります」
「こちらこそ頼む」

 老成した人間はそれに気付いていないわけではないのに、にこりと笑って人間の頭を撫でた。やっと、複雑な笑みから嬉しそうな笑みに変わる。二人の人間はどこか嬉しそうに笑いあっていた。それを横で見ていて、俺が加わることのない空間だから、手を離した。ぬくもりが離れ、手が冷気に晒される。素直に寒い、と思った。

「ほれ、いくぞ。もう任せておいていいだろう」
「わかってら、じじい」
「あ、待って」

 挨拶を済ませたブックマンにいわれ、背を向けようとした時だ。人間に呼び止められた。振り向けば人間が駆け寄ってくる。老成した人間は、後ろのほうで笑みを浮べてこちらをみているだけだった。目の前で立ち止まった人間は、なにか言いにくそうに、何事かに迷っているようだった。そういえば別れの挨拶とかまだだったか。

「あれ」
「え?」
「良い人そうじゃん」
「あ、うん。良い人だと、思います」
「うん。良かったな」
「はい」
「俺らはもういくけど、お前、面白かったさ」
「私が、ですか?」
「おぅ、お前は?」
「楽しかった、です」
「そっか」

 純粋に嬉しかったけど、表面には出さないよう努めた。人間は笑んでいたから、ばれていたかもしれない。

「短い間だったけど、ありがとな」
「こちらこそ」
「んじゃ、もう会うこともないだろうけど、またな」
「・・・うん、また、どこかで」

 笑えば人間も笑った。握手なんてしない。絶対にできないと思った。だから手は差し出さなかったし、人間も差し出しはしなかった。ただ、服の裾を掴まれた。

「どうしたんさ?」
「・・・
「は?」

 聞いたことの無い音だった。

「自分の名前、いいます」

 俯きがちだった顔をあげて、はっきりとそういう人間、は、真っ直ぐに俺を射抜いていた。答えなければ、と思うけど、言葉はでてこない。人間は、見透かしたように笑った。

「今度会えたら、名前、教えてください」
「うん」

 そうやって、叶いもしない約束をして、別れた。
 約束をしたのは初めてだった。






(2008/10/22/)