ジュニアのスパルタのおかげで、なんとか日常会話は形になってきた。本当、スパルタすぎて泣きそうになったことなど数知れず、何度はっ倒すなり泣き落とすなりしてサボろうかと思ったことか。逃げた後が怖いから思うだけにとどまったけど。まだまだ筆談も必要ではあるが、教師にさえ見放された自分の英語力をこんな短期間で日常会話ができるようになるまで育て上げたジュニアはすごいと思う。よくぞここまで引っ張りあげてくれたものだ。感嘆に値する。まじで。ジュニアからすれば、使える単語が増えて簡単な文法を覚えたに過ぎずまだまだだ、とのことだけど、英語で意志の疎通ができているだけで万々歳なんだよ。本当に。身振り手振りが少なくなっただけでも成長したんだって。そうなんとか訴えたら冷めた眼でへぇー、とかいわれた。この糞餓鬼!一発殴っておいた。 ☆☆☆ ぱちり。目を開ける。室内は暗くて、光は窓から差し込む月明かりだけしかない。今日は満月なのか妙に明るくて、仄かに室内の輪郭が見える。ぼんやりと天井を眺めて寝返りを打った。 眠れないのだ。別に不安も不満もありはしないのに、何故だか腹の底が重たい。憂鬱な気分になる。それを払拭させようと息を吐き出すが、そんなことで拭い去ることができるはずもなく、逆に気分は助長されてしまったから嫌になる。明日にはブックマンたちと別れるというのに、こんなことではだめだ。元気に、笑顔で送り出してあげたい。拾った子供のことなど、ずるずると心配するはずもないし気にも留めないはずだけど、やはり笑顔で別れたい。これが自分に出来る精一杯の恩返しだ。笑顔で、あなたたちに拾われ世話をしてもらい、なにもできずに別れるけど、元気でいるよ、と。ありがとう、という言葉と一緒に笑顔で送りたい。なのにこんな気持ちのままで、しかも眠れないでいたら明日の朝、どんな顔になっていることやら。あぁ考えただけで落ち込む。あれ、悪循環。 「お前、眠れないのか?」 突然聞こえた声に驚きつつもゆっくりと寝返りを打ち、声の聞こえたほうへと体を向けた。向かい側には少しだけ窮屈そうにブックマンとジュニアが一緒に寝ているベッドがある。最初はジュニアと自分が一緒に寝るか、自分が床で寝ると言い張ったのだが、そんなことはさせられないと二人の断固拒否にあい丸め込まれてベッドを一つもらったのだ。申し訳無いなぁ、といつも口喧嘩しながら眠る二人をみていたものだ。ベッドに腰掛けるジュニアをみて笑みを零せば、眉を寄せられた。 「なに笑ってんだよ」 なんでもない、と首を振って答える。体を起こしてジュニアと向かい合うようにベッドに座りなおし、足首のあたりを交差させて膝を抱えた。 「君は?」 「俺は、起きたらお前がまだ寝てないようだったから、」 「うん」 「・・・だから、眠れないのかって聞いただろ」 「そうだね」 にこにこ笑っていれば非常に嫌そうな顔をされた。それもそうか。問いには答えていないし、さり気にのらりくらりかわしているし。ふと、ここで弁慶やあいつを思い出すあたりで大分奴らに毒されたなぁと思う。少しだけ可笑しそうに笑えばジュニアは機嫌を損ねたように唇を尖らせた。拗ねたか。 「なぁーに笑ってんのさ」 「なんでもない」 「そんなわけないね。なに思い出したんさ?」 「・・・別に?なにも?」 おぉ自分すげぇ。会話できてるよ。片言ではあるけれど。しかし核心ど真ん中突いてくるなぁ、さすがというかなんというか。にこり、と笑ってそう返せばジュニアの機嫌は急降下したようで、じろり、と睨まれた。笑顔保つのきついねこれ。 「少し間が開いた。怪しいさ」 「そう?」 「ていうか絶対にそう」 「なら、そう、だね」 「・・・お前ってずるいよな」 ついに完璧に拗ねてしまったジュニアに苦笑する。遊びすぎたかなぁ。楽しかったけど。笑ってんじゃねぇよ、なんて八つ当たりみたいにいわれるからはいはい、とだけ返しておいた。あぁ、もう、唇を尖らせて拗ねているくせに、視線だけは真っ直ぐに人を貫くもんだからこれ以上はやめておいてあげよう。可愛いし、真っ直ぐだから。真っ直ぐにぶつけて答えてくれないときってかなり消化不良なんだよね。膝を抱えなおし、こてん、と膝の上に交差する腕に頭を乗せた。 「・・・少し、懐かしい、人、思い出した」 離れて数日しかたたないのに、酷く懐かしいあの人たち。それはきっと、もう戻れないかもしれないという囁きが聞こえるからだ。戻れないかもしれない。あの世界にも、元の世界にも。一生、この世界で生きていくのかもしれない。そんな考えがずっと頭の片隅に存在していて、打ち消すことはできなくて、それが真実に成り得るかもしれないから、気持ちが沈んでいるのだ。あぁ、もう、まともに考えたくなかったのに。明日を乗り切るまでは。 「・・・しっかたねぇなぁ」 「ん?」 沈黙していたジュニアの声がため息と共に聞こえてきたから咄嗟に顔をあげれば、すぐ目の前に立っていた。いやいやちょっとお前、いつの間に移動したんだよ。目を丸くして驚いていれば額を小突かれて、後ろへと倒される。まじでお前なにすんだよ。勢いよく起き上がろうとすればジュニアの腕が首に回り、そのまま再び倒された。死ぬ、死ぬってジュニア。 「、くるしい」 「まぁまぁ」 なにがまぁまぁなんだよ。すぐ隣にあるジュニアの顔を睨めばしてやったりな笑みを浮べるもんだから、思わず殺意が芽生えた。仕返しか、仕返しなのかジュニア。さっき拗ねさせた仕返しなのか。可愛いことしやがるなこいつは。深く息を吐き出して、楽しそうに横に転がるジュニアの腕を外そうとすると逆に抱き込まれてしまった。何事。 「・・・なに?」 「お前寂しそうだからさぁ、今日は俺が一緒に寝てやるさ」 抱きこまれた腕の中から見上げるジュニアの顔。なんでそんなに笑顔なの。言葉を返す暇もなく、ぎゅっと抱きしめられてジュニアは寝る体勢に入ってしまった。なんていうか、あの世界にいたころよりも、こう、乙女的な体験している気がするけど、そうじゃなくて、どうしてこんなことに。深く、深くため息をついた。 「困ったなぁ」 ジュニアの心音が心地よい。よく眠れそうだ。 (2008/07/24/) |