呼ぶ声が聞こえる。あぁ、名前だ。名前を呼ばれている。この声は、誰だっけ。そうだ、あいつだ。腹黒くていつも人を振り回してくれるのに、何故か数少ない友達の中で一番仲のいいあの子だ。呼んでいる。返事をしなければ。早く返事をしなければ、聞こえていたくせに無視とはいい度胸じゃないとかなんとかいって微笑まれる。怖い、怖すぎる。それだけは避けたいし全力で遠慮願いたい。それに、自分を呼ぶ声はあいつだけじゃない。この声は、神子?白龍?八葉?なんでそんなに呼ぶの。自分はここにいる、ここにいるじゃないか。届いてないのか?ねぇ、ここにいるよ。だからそんなに叫ぶなよ。なぁ、自分は生きているからさ。
 泣くなよ。


☆☆☆


 ばちん、と目が覚めた。息も荒く、浅い呼吸を繰り返す。最後のあの、闇に沈む感覚がまだ残っていて舌打ちした。全く、いやな夢をみたものだ。自分が死に掛けた記憶など忌々しいものでしかないというのに。記憶を封印するかのように瞼を閉じ、呼吸を落ち着かせようと深呼吸を繰り返した。朝の静かな空気に自分の早い鼓動と、息遣いが響く。部屋の中に気配はない。微かに外から聞こえる音で判断する限り、早朝稽古でもしているのだろう。生き抜く術を、ブックマンはジュニアに仕込んでいるはずであるから。むくり、と体を起こしてベットから出る。窓を開ければまだ肌寒い空気が部屋へと流れ込んだ。

「おはようございます」
「ん?起きたのか」

 窓の桟に肘をついてたどたしい発音で声をかける。地面に転がっているジュニアから視線を移動させ、ブックマンは二階から見下ろしている自分におはよう、と言葉を返した。にこり、と笑ってジュニアにもおはようございます、と同じようにたどたどしく声をかける。同じようにおはよう、と少し驚いたように返ってきた。

「お前、いつもよりずいぶんと早いな。起きるの」

 まぁ確かにいつも起きるのは昼前ではあるが日が高く昇ってからだから、ジュニアが驚きつつも不思議に思うのは仕方ない。自分でも寝すぎだなぁ、とは思うのだが、どうも幼児化したおかげで睡眠時間が延びたようなのである。ただでさえ朝に弱く、睡眠時間が長いというのに。ジュニアには苦笑いを返してひらり、と手を振り室内へと戻った。失礼ではあると思うが自分も下へいく、などと伝える言葉の構成がよくわからない。英語は難しいんだっての。これをいうとジュニアにはお前可笑しい、なんてことをいわれてしまうのだが。普通に難しいよ。うん。
 早く使えるようにならないとなぁ、などと憂鬱になりながらも階段を下りてブックマンたちのもとへと向かった。丁度休憩しているようで、水分補給をしている。気づいた二人に笑みを向けて、ジュニアのすぐ近くを立ち位置に選んだ。

「お前、来たんか」
「うん」
「見ててもつまらないと思うんだけどなー」

 俺がじじいにぼこられてるだけだしさ、なんて吐き捨てるようにいうジュニアには首を振ってそんなことはない、と伝える。殴られているだけだとはいってもそこから学ぶことも多いし、ジュニアだってそれを理解しているはずだ。それを知っている自分は見ているだけであっても勉強になる。ただ、敵わないとわかっていてもやられっぱなし、というのがジュニアは気に入らないのだろう。かわいいやつめ。面白い、と伝えれば趣味悪いさ、と返された。失礼な。

「再開するぞ」
「へーい」

 一服し終わったブックマンの一言により、ジュニアは面倒そうに立ち上がる。その裾を掴んで引き止めれば、ジュニアが変な声をだすからブックマンも振り向いた。呼び止める手間が省けたからいいけど、そんなに睨むことないと思うけどな。

「なにさ」
「自分も」
「自分も?」
「あー・・・」

 英語でどういえばいいかわからなかったから、ジュニアの裾を掴んだままブックマンを呼んだ。地面に漢字を書いて近づいてきたブックマンを見上げる。中国出身なら読めるだろうし、実際読めていたし意味は多少変わってくるとはいえ、伝わるだろう。そしてジュニアと自分を交互に指差してみる。疑問符を浮べているジュニアとは違ってブックマンは理解したようでそうか、とつぶやいていた。さすが。

「じじい、いったいなんなんさ」
「なに、このお嬢さんがお前と組手をしたいと、そういうておるだけじゃ」
「へぇこいつと俺が・・・ってお前できんのかよ?!」

 いくらなんでもそこまで驚くことないんじゃないのか。そのくらいにジュニアは驚いて目を丸くしていたけど、へらりと笑みをむけるだけで是と答えた。開いた口がふさがらない、という慣用句を体現しているジュニアを放置して軽く準備運動を開始する。やる気満々、ジュニアをぶちのめす気満々である。ブックマンは珍しく、面白そうに笑っていた。

「楽しそうじゃの」
「はい」
「そうか、では馬鹿弟子を気持ちよくぶっ飛ばすがいい」
「じじい!なにいって、」
「ありがとうございます」
「おまっ、絶対ぶっ飛ばないからな!」

 憤慨するジュニアに、ブックマンと一緒になって笑った。空は快晴。いい天気である。






(2008/07/10/)