あの日のように青と白のコントラストが美しい空は今日も悠然と頭上にあって、ころころと表情が変わる空はどんなことがあってもずっと変わらずに在るのだろうと思った。 「、今日であんたは卒業だわさ」 「はい、師匠」 今日、二度目の旅立ちの日を迎える。 * ビスケはいつも唐突だったが今回もやはり唐突だった。 「あんた今日で修行過程終わりね」 「、は?」 この数ヶ月間続けてきたように朝から修行に励み、終わらせ、夕飯後ののったりした時間だった。少し前にもうそろそろ終わるとかは聞いていたが修行内容が変わることもなく(少しは変わるかと思っていた)、系統別修行も一段階レベルが上がる程度の変化しかない。今日は比較的苦手としていた放出系修行の浮き手をなんとか習得したところだった。まだまだ教えてもらっても習得できていないものもあるし、体術のほうだって相変わらずほぼまぐれでしかダウンをとれていない。なのに修行終了。 「わけがわからない、って顔してるわね」 「そりゃ、そうですよ。・・・自分、まだまだじゃないですか」 「そーぉ?ちょっと前にもう少しで終わるっていってなかったっけ?」 「いえ、聞きましたけど、いくらなんでも早いんじゃ、」 「そんなことないわよ」 机の上にだれていた体を起こして、真向かいに座ったビスケに目を向けた。座る前に置かれた目の前のコーヒーはありがたく頂戴しておく。 「確かにあんたはまだまだだけど、後は実戦を経験しなきゃ伸びないのよさ」 「・・・、つまり、修行で成長するだけした、と」 「そういうこと。察しがよくて助かるわねぇ」 笑いながらコーヒーに口をつけたビスケに、それはどうも、とだけ答えて同じようにコーヒーを飲んだ。今日で修行が終わりということは、明日には別れるんだろう。感慨にひたることもなく、寂しさを背負わず、お互い笑顔で別れるんだろう。言葉も別れの言葉ではなく、また明日会うだろう友人に対するような気軽なもので、きっと終わる。だから、いましかないと思った。 「ビスケ」 「んー?」 「ビスケはどうしてここまで面倒みてくれたんですか?」 ずっと不思議だった。たかが昔なじみの手紙、しかも一言だけでここまで世話を焼いてくれるものだろうか。基本の四大行と体術を仕込んだだけで十分鍛えたことにならないだろうか。なのにそれぞれの系統別修行を叩き込み、体術まで鍛え上げ、ビスケ自身が持つすべてといっていいものを与えてくれたのは、何故。 交差し、逸らされず送られる視線に降参したのか、それとも最初から教えてくれるつもりだったのか、ビスケはため息をついてポケットから封筒を取り出した。指ではじかれ、うまい具合に目の前に落ちる。それは、全てが始まったあの日に渡した、師匠からビスケへの手紙。 「それね、あいつが仲間内にだけ使うやつで、念が仕込んであるんだわ」 「念?」 「そ、うまいこと隠してあるから普通は気づかないんだけどさ、これで仲間なら暗黙の了解で必ず読み取るわけ」 「必ず・・・」 「読み取らなかったらもう、大変なことになったからねぇ・・・」 いやなことを思い出したのか、思いっきり眉間にしわを寄せてビスケは冷えたコーヒーを飲んだ。気になりはするがこれは聞かないほうがいいんだろう、と、触らぬ神に祟りなしといわんばかりに手元の封筒から手紙を取り出して開く。多少古ぼけてはいるが、相変わらずあの一文がかかれている。 「便箋の大きさのわりにその一文っていうの、おかしく思わない?」 「そりゃ、まぁ・・・」 一文の下に無駄にとられた空白がもったいないし、こんな大きな便箋にかかなくてもいいだろうとは思う。遠くを見つめ始めたビスケは、いまのあんたにはみえるわさ、などと暗にみてみなさいといわれ、凝をしてみた。そして浮かび上がる念で書き込まれた文字。 「・・・」 「・・・さすがにねぇー、それは勘弁して欲しいのよ」 ぐしゃ、と握りつぶして突っ伏せばそんな言葉が聞こえてきた。だらだらとかかれた文字の内容は聞いたこともないが察しはつく。自分を鍛えられるだけ鍛えてやらねば昔やらかした秘話をぶちまくぞ、という、これは。 「脅迫文じゃないっすか・・・!」 「うん、まぁ、そうなるわねぇ・・・」 なにを考えているんだあの人は。怒りを通り越して呆れどころか脱力し、持ち上げていた体は再び机と仲良くなった。目頭が熱いのはきっとなにかの錯覚だ。きっとそうに違いない。 「ま、そんなわけなのよ」 「・・・はい、十分に存分にわかりました。誰だって若さゆえの過ちだなんてぶちまけて欲しくありませんからね、旧知の人にはもちろん世界中なんかにね」 吐き捨てるように早口でまくしたて、背もたれによりかかりずるずると落ちそうなくらいまでずり落ちる。脇に背もたれを挟んだ格好を維持して頭を反らせた。 「あー・・・」 「あんたが落ち込むことないわよー、あいつの独断でしでかしたことだしさ」 「いや、でも、一応師匠なんで、ていうかむしろ自分被害者なんで、逝くときくらい普通に逝ってくれと、」 「そうだわねぇ、こんな置き土産なんぞいらなかったわ」 「まったくおっしゃる通りで」 ふたりして深々とため息をついた。 「まぁそういうことだから」 「はい、わかりました」 * 昨日だけど時間にして十数時間前に交わした言葉を思い出してなんとなく懐かしんだ。もうこの人と並んで歩かないのだ。それを思うと少し寂しい気もする。 「なに?そんな顔しちゃってあんた、寂しいわけ?」 「まぁ少しだ、」 「あたしは清々するわー、やっとやりたいことやりにいけるしー」 前言撤回。やっぱ寂しいなんてことはない。それなら自分だってやっとあのスパルタ修行から解放されるのだから清々したに決まっている。いくら湿っぽいのは苦手だといってもこれには多少なりとも腹が立つ。 「ところであんた、この後どうすんのさ」 「前にも聞きましたねそれ・・・」 「んー?今回はお金が絡むほうよ」 「それなら師匠の情報屋のほうを継いでるので問題ありません」 「へぇー・・・使えるの?」 「叩き込まれたので」 実際に修行を受けている間もそれなりに仕事はしていた。極簡単なものに限ってではあるが。 「なるほどねぇ・・・、あ、そういえば情報収集にも使えそうな念、作ってたわね」 「はい。そこまで考えていたわけじゃないですから、結果的にそうなったって感じですけど」 「ん、なら心配事はないわね。これで横暴な約束は果たしたわー」 手を組んで背伸びをする背中を眺め、視線をまた上にあげた。空は青くてたまに吹く風は気持ちよく、絶好の旅立ち日和だ。旅に出ようと考え付いた日から随分たつが、いろんなことがあったと思う。ここ数年のかなり大変な出来事を凝縮したように次々と沸いてでる厄介ごとや修行に追われてみれば、いつの間にか一年近い月日が流れている。根無し草の旅ではあるし、急ぐってわけでもないのだから寄り道くらいいいだろうが、これはいささか大きすぎ濃密すぎた。その寄り道でこの計画性の全くない旅が先送りされた代わりといっては失礼かもしれないが、ほぼ確実に生き残れる、ひとりで生きていける力を強制的に叩き込んでもらったわけである。理不尽なこともあったし途中死ぬかと思ったけど。むしろ死にかけたけど。 「それじゃあ修行はこれにて終了。元気でやんなさいよ、」 「ビスケこそ元気で」 あの日渡した一枚の手紙。師匠の想い。先の読めない未来に賭けて残されたそれらは偶然がいくつも折り重なって、一方的な約束は果たされた。師匠がなんのために鍛えるよう頼んだのかはよくわからない。そのおかげでつらいこともあった。苦しんだこともあった。死にそうにもなった。だけどその日々は思ったほど悪くない、それなりに楽しいものでした。 自分は生きようかと想います。感謝しています、師匠。この修行を設けてくれたことを感謝しています。 「また会いましょう」 師匠、ありがとうございました。 |