そう、彼女は変わった人だった。





 初めてであったのは滞在し始めて数時間帯目。ペーターに頼み込んで女王であるビバルディに挨拶をしにいったときだ。左から並ぶ王、女王、ペーター。威厳に満ちている空間。こうしてみればペーターも宰相らしくみえないこともない、なんてのんびりと考えていたときに気づいた。申し訳なさ程度に背後に控えているというか突っ立っている人。面倒そうに仏頂面で、早く終わらせろといわんばかりにきつく眉を寄せて視線は真横にむけていた。格好からして執事のようにも思えたけど立っている場所が可笑しい。一介の執事が女王の、頂点に立つ人の後ろに控えられるものだろうか。私の知識からすればありえない、というかよくわからない。気になって見つめていればビバルディが視線の先に気づいたらしく、にんまり笑って執事のネクタイを引っ張った。バランスを崩して前のめりになり、苦しそうに一瞬だけ顔が歪む。

「"これ"が気になるのか?」
「、えぇ・・・まぁ」
「"これ"は玩具だよ、アリス」

 人を物扱いしたことに驚いたけど面白そうに笑って玩具だと言い切ったビバルディに驚いた。そしてなにより、玩具扱いされても何一つ反論しなかったその人に一番驚いた。ただ面倒そうに顔を歪めるだけでなされるがまま。まるで人ではなく、なんでもいうことを聞く機械人形のようだ。退室するときまでその人はずっと面倒そうな仏頂面を貫き通していた。
 変な人。最初はそれだけで、気にもとめなかった。





 次に会える機会が訪れたのはビバルディと廊下で出会ったときだ。どうやら仕事を抜け出してきたらしいビバルディを追いかけてきたらしい人形のような人。相変わらずの仏頂面で、初めて声を聞いたのもこのときだった。

「女王。執務が差し支えています。お戻りください」
「わらわはいまからアリスと遊ぶ。執務などやっておられぬ」
「いまじゃなくてもよろしいでしょう」
「わらわは、いま、アリスと遊びたいのだ」
「女王、」

 声の質からして女の人だった。でもわかったことはそれだけで、何を思っているのかさっぱりわからない平淡で無機質な、面白いくらい感情の篭らない声色だった。人はなにかしら声から推し量れるものがあるはずだ、という考えを完璧に覆されるほどに何も読み取れなかった。あのエースや帽子屋でさえ多少は極々注意していれば気づけるというのに。私はこの人に驚かされてばかりだ。ため息をついたその人にビバルディはつまらなさそうに杖を突きつける。

「お前がもう少し面白ければ執務に精もでるというもの。どうだ、お前は引っ込んで"あいつ"をださぬか?」
「なんの話でしょう。全く見当がつきません」

 その言葉は私のものだ。ビバルディのいう"あいつ"とは一体誰のことなんだろう。この人のことだとしても本人は目の前にいるし、ビバルディに気に入られた身内でもいるのだろうか。いや、でもこの人のことなんだろうか。執務に戻れだのなんだの交わされる会話を聞きながら思案していると、私の思考に気づいたらしいビバルディがにんまりと笑う。

「知っておるか?アリス」
「なにをよ」
「こやつのことを、だ」

 知るわけがない。大体、いまやっと二回目に顔を合わせたところである。二回目だとかいっても初対面に近い人の何を知っているというのだろう。知っていたらそれはそれで怖いんじゃないだろうか。ペーターに並ぶストーカーもいいところだ。
 すっぱりと知るわけないじゃないと返せば満足そうにビバルディは玩具だとかいっていた人のネクタイをまた引っ張る。

「こやつはお前と同じ"余所者"だよ」

 バランスを崩して前かがみになって不機嫌そうに眉を寄せた仏頂面の人を見る。私と同じ"余所者"。本当に?この人が?余所者?ここは私の夢の世界で、私が作りだしている世界で、そこに私以外の余所者。考えもしなかった。私の夢なのだから、私と同じような人が現れるとは考えすらしなかった。

「・・・なにか」
「え、あ、別に、なにも・・・」
「そうですか」

 ビバルディに逆らうことはしないのに、嫌悪の表情を隠そうとしない人。むしろ突きつけるかのように顔を歪める私と同じような立場の人。余所者だというのに好感は持たれていないような人。少し、興味がわいた。

「自己紹介がまだだったわね。私はアリス、アリス=リデル」
「存じております。最近やってきた余所者だと、聞かされていますので」
「そう、あなたは?」

 無表情へともどっていた顔が険しく歪む。嫌悪をむき出しにした顔や雰囲気に可笑しな人だと思った。ただ、名前を尋ねただけだというのに。見上げる人はきつく眉を寄せ、口を真一文字に引き結んでなかなか口を開こうとしない。

「私は名乗ったのだし、聞かれたら答える。礼儀じゃない?」
「・・・・・・・それは失礼を。私は
「へぇ・・・、聞いたことのない音ね」
「アリスさま」

 珍しそうにの名前を繰り返して口になじませようとしていると名前を呼ばれ、視線を上げる前に頭を掴まれて俯いたまま固定されてしまった。隣にいるビバルディが小さく驚いたような珍しがっているような声をあげるのに気づいたが私は視線をあげることはできないしがどのような顔をしているかわからない。ただ、なんとなく、あの仏頂面に感情が表れているのではないかと思った。

「名乗ったからといって、必ず名乗り返すなんてことはありません。礼儀なんて知りません。名乗りたくないから名乗らなかった。そのくらい気づいてはどうですか?」
「でも、名前はあるのでしょう?名前くらい、教えて貰ってもいいものなんじゃないかしら。呼ぶときに困ってしまうでしょ?」
「あなたに呼ばれることなどありません。呼ばないでください。私の名前は、あの人が呼びさえすればいい」
「"あの人"?」
「・・・・・・・・・お喋りがすぎました。女王もこちらで仕事を片付けておきます。その権限を」
「あぁ、わらわが戻るまでお前には女王としての権限を与える」
「ありがとうございます。では存分にお遊びください」

 そういって顔をみせることなく足早に立ち去るの背中を眺めた。結構な暴言が吐かれたような気がするけどなによりも"あの人"という単語が気になる。一体誰のことなのか。考えてもわからないからビバルディに聞こうと向き直れば酷くつまらなさそうな顔での背中を見送っていた。

「ビバルディ?」
「つまらんな」
「え?」
「あやつが捕らわれているのがあの愚か者だということが、だ」
「・・・・・一体誰よそれ」
「なに、それはあやつを見ていればわかることだ。それよりも遊ぼう、アリス」

 人の答えなど聞かずに無邪気そうに笑って腕を引くビバルディに溜め息をつきつつ、もう少し話ができないだろうかと思った。





 城をうろついているとよく仕事をしているをみかけた。相変わらずの仏頂面と無愛想を装備して兵士やメイドたちに指示をだしたりしながら忙しそうにしている。聞こえてくる声を拾う限りでは事務的な内容以外は話さず、やはりあの無機質な眼は健在だった。それを含めて相変わらずなんだなぁ、とため息をつきつつも頃合いを見計らって話しかける自分に対しても決して喜ばれているわけでもなくむしろ嫌悪され遠ざけられようとしているのにめげずに気にすることもなく至って普通に接するあたり変だなぁ、と思った。
 なんだかとてもつもなく気になっているのだ。彼女のことが。

「こんにちは、
「…ご機嫌麗しゅう、アリスさま」
「私に敬称なんてつけなくてもいいわ。居候だもの」
「宰相閣下と女王陛下のお客様なのでそういうわけには参りません」
「関係ないわ。私たち、お友達でしょう?」
「申し訳ありません」
「そう。まぁいいわ。、少しお話できないかしら?」
「執務中ですので申し訳ありません」
「少しでもいいの」
「申し訳ありません」
「…そう、その顔。相当嫌そうね。わざと?」
「本のわたくしめの心配りでございます」

 暗に察しろと、そう言っている。笑顔でそう言い切るものだからやはり城の住人なのだと思った。

「私、そんなに嫌われるようなことしたかしら」
「心当たりがないのなら、そうではないのでしょう」
「中々いうわよね、あなたも」
「お褒めに預かり光栄至極。無駄な時間を過ごしてしまいましたので、滞っている執務に戻らせていただきます」
「…ねぇ、そのあとでいいから時間を作れない?」

 しつこい。そういわんばかりに顔を歪めたを真正面から見据えた。なんだか、離れてはいけない。放っておいてはどうしようもない事態が起こる気がしたのだ。最近のは目に見えて、どこか、私でさえ気付くほどにふとした瞬間ではあったが不安定そうに見える時があったから。それは最初に出会い、少し前までのにはありえないほどの感情の露出だった。見つめる私をは怪訝そうに見下ろして言い放つ。

「申し訳ありません。そのようなことをしてしまえば宰相閣下に撃ち殺されてしまいますので」
「そんなこと私がさせないわ」
「そうですか。ならば直球で申し上げさせていただきます。この世が滅ぼうとも女王が世界平和のために尽くそうぞなどといいだそうとも騎士長閣下の迷子癖が直ろうとも宰相閣下があなたを嫌おうとも絶対にいやです」

 一息にそういっては去って行った。目を丸くしながらその背中を見送り、想像すらできないことを捨て台詞として残して行ったに怒りや悲しみを通り越して感嘆してしまった。いっそすがすがしいほどだ。あぁそれでも、

「あなたがいくら私を嫌おうとも、不思議と私はあなたを嫌いには思わないのよ」

 その数時間帯あとだった。血塗れの彼女を見つけたのは。







赤に咲く白




(2009/04/16/)
不幸論に繋がるアリスの心情。