久々に自室に帰ろうかと思っただけだった。今回はどのぐらいの時間で戻れるか、そもそもたどり着けるか、などと適当なことを考えながら歩いていて、愛しのアリスに捕まった。

「ペーター!サボらないでよ!!」
「あなたの指図を受ける義務はありません」
「あるっつーの!お前がサボるから私のとこに書類が回ってくんだよ!!」
「知りませんよそんなこと」
「いやいやもうあんたなんで宰相してんだよ!」
「僕が有能だからです」
「あぁこれだからこの黒ウサギは!」
「失敬な。僕は黒などではなく可愛い可愛い白ウサギさんです」
「どの口がンなことを抜かしやがる!有能なら有能らしく書類を片せ!!」
「それならばあなたがやればいいじゃないですか。あなたは僕の補佐をする役職でしょう?吼えているばかりではなく少しは全うしたらどうです」
「十分やってんじゃねぇか!大体己の上司がサボった分までやる義務も義理もなにもねぇ!!」
「補佐官としての役職を放り出すなんてしけた人ですね」
「お・ま・え・は!今現在たったいま!!放り出しにかかってんだろうがァァァ!!」
「あぁこんな無駄な言い争いをしている暇があったら僕は僕のアリスを探さなければいけないというのに」
「アリスはてめぇのもんじゃねぇし無駄じゃねぇし!私がサボれるかどうかの重要なことだっつの!!」
「それでは僕はアリスを探しにいきますのでそれ、やっておいてくださいね」
「その頭についたご立派な耳はなんなんだ飾りかちくしょう話を聞け!そしてさっきアリスが大人しく仕事しろっててめぇにいってたじゃねぇか!!」
「そんな昔のこと覚えてません」
「秒数にして二百四十九秒前だいい度胸してんな黒ウサギ!!」
「きっと僕に追いかけて欲しくての時間稼ぎだったんです。部屋を移動するだけでは飽き足らずこの僕に更なる焦らしプレイを吹っ掛けるとは、なかなかのやり手ですね」
「そんな神妙な顔してふざけてること抜かす暇あったら書類捌け!!」
「いやです。僕はアリスの傍にいなければ死んでしまうんです」
「じゃあ死ね!死に腐れ!死んでお詫びしろ!!」
「アリスに会えなくなってしまうのでいやです」
「もう本当だれかこの黒ウサギをどうにかしてくださいまじで!!」

 アリスに手を引かれてたどり着いた部屋は執務室だった。女王と宰相と、補佐官が混合する、執務室。もちろん自分の席もあったが誰かが捌くだろう書類の山で埋まっている。女王は優雅にお茶をしながら面白そうに宰相と補佐官のやり取りを眺めていたし王はその後ろで忙しそうに仕事の山を捌いていた。たぶんいつもの光景。ただそこに、仏頂面で無口な存在感皆無の補佐官がいなくなっただけ。口うるさい補佐官になっただけ。
 いまだに胸倉を掴みかかりそうな勢いでペーターに仕事をさせようとする補佐官と人の話を聞かないで面倒くさそうに心底邪魔だといわんばかりに顔を歪めているペーターをみてアリスは肩を落としてため息をついた。

がさっきからペーターに仕事をさせようと喚いているのよ・・・私がどれだけいっても胸糞悪くなるようなことしかいわないし、」
?」
「、え?」
「""って、何のこと?」
「・・・あなた、自分が殺そうとした補佐官の名前すら知らなかったの?」
「、あぁ、あれか」
「あれって・・・」

 逡巡して納得したように頷けば怪訝そうに見上げられていた目には呆れの色が映り、深くため息をつかれた。特に呆れられるようなことはしているつもりはなかったし、知らなかったことを問い返しただけであるのに何故そのようなため息をつかれなければならないのかわからない。相変わらず不思議なことに感情を動かす子だ、と思った。視線をアリスからずらして騒音を撒き散らしている方向へと顔をむける。丁度相変わらずのペーターと補佐官、""だとかいう名前のあれが女王を巻き込んでいるところだった。我らが女王まで巻き込んでよくやる。首でも刎ねられたいのかと眺めていれば、騒々しくなにかを訴える""を可笑しそうに煽る女王をみてお得意の口癖はださないほどお気に入りなのかと気づいた。しばらくはあれで遊ぶつもりなんだろう。同じように気に入られているアリスにちょっかいをかけるよりはいいが、そこまで気に入る要素があるようにはみえない。
 思考をめぐらせながら隣からの視線にはにっこり笑って俺にどうして欲しいのと尋ねた。

「あ、アリス」

 きゅっ、と眉を寄せて口を開こうとした絶妙なタイミングで邪魔が入る。""がたったいま気づきましたといわんばかりに声をかけたのだ。ペーターも女王もそれに反応して視線が集中し、手を繋ぎっぱなしだったことに隠しもしない殺気をむけられた。アリスは青ざめるし""は天を仰ぐようにして手のひらで目元を押さえるし女王はつまらんとばかりに息をつく。いつもアリスにへばりついているのだから手を繋ぐことぐらい流せばいいのに狭量なウサギさんだなぁ。それでこそペーターであるんだろうけど。ここで余裕でかわされては気味が悪くて仕方がない。にっこり笑ってぎゅ、と繋ぐ手に力をこめればアリスはびくりと震えてペーターは肩からつっている時計に手をかけた。

「はーいやめやめ。職場を血でぬらさないでクダサーイ」

 ""は割り込むようにしてペーターの後ろから口を塞いで銃に変わった時計を持つ手を捻る。口を押さえられているせいでくぐもった叫び声をあげてぽろりと銃を手から落とした。鎖で繋がれた銃は元の時計に戻る。

「―、―――っ!―――――!!」「ちょ、補佐官っ!手を離しなさい!!」
「はいはいはいはい文句は一切聞きません。こんなところで銃を抜くあんたが悪いんでしょうが」
「――――――――!!」「雑菌だらけの手で口になど触れないでください汚れてしまいます!!」
「雑菌がどうのこうのなんて知りませんよ、あなたが止めなければならないようなことをするからこうして私が触らなければならないような状況に陥ったわけです。できるだけ触れないようにとしていた私の努力を水の泡にしてくださったのはどこのウサギさんでしょうねぇ?」
「――――、――――――!」「そんなこと知りませんよ、早く僕は放しなさい雑菌に侵食されきってしまいます!」
「さっきから雑菌雑菌とうっさい人だな・・・」
「―――!―――――――!」「あぁアリス!勘違いしないでくださいね僕はあなた以外どうでもいいのですから!」
「・・・誰も勘違いしねぇっていうかお前なんか私から願い下げだ」

 うんざりしたようにアリスに向かって何事かを叫ぶペーターを""は鬱陶しそうに羽交い絞めにする。アリスはさり気なさを装って手を離し、呆れたといわんばかりにため息をついた。離れていったぬくもりを逃がさないように手を握りこんで、今日も絶妙に鬱陶しいですねぇーといえばペーターは何かを吐き捨てたようだがまだ口を押さえられていてなにをいっているのか分らなかった。にっこり笑う""はアリスにお疲れ様、と声をかける。

「別になんてことないわよ。結構早めに捕まったし」
「いや、騎士長閣下を捕まえられるのはアリスだけだしお礼はきちんとしないとねー、ありがと」
「いまいちよくわからないけど貰っておくわ、どういたしまして」
「素直でよろしい。飴あげるよ」
「・・・あなたっていつも飴持ち歩いてるのね」
「いらない?」
「いえ、いただくわ」
「そう?じゃあもう一個あげるからさ、この役立たずな黒ウサギの相手してやってくんない?さすがに手に負えない」
「・・・遠慮願いたいんだけど」
「私もこの無能の相手は疲れた」
「――――――!!」「無能とは聞き捨てなりませんね、その前にいい加減放しなさい!!」
「放したら暴走するので却下」
「・・・ってばよくわかるわね」
「勘だね、勘」

 近づいていくアリスに飴をわたし、頭をなでる""はいまだにペーターを解放していなかった。ぶつかっただけで発砲するようなあのペーターがそこまで許しているとは珍しい。女王が誰の首を刎ねないなどといいだしそうなくらい、珍妙なことだった。あれはあの宰相にも気に入られているのだろうか。それとも後方で優雅に紅茶を飲んでいる女王に先手を打たれているか、全力で懸想するアリスに何事かをいわれているか。どっちもなんだろうけど、それでもあそこまでの態度はとらないだろうからやはり無意識下で気に入ってはいるんだろう。女王はともかく、あの宰相まで手篭めにしているとは思わなかった。素直に目を丸くして感心していれば""と目があい、微笑まれる。僅かに眉をひそめたが、すぐに仮面をつけた。

「お戻りになられてありがとうございます、騎士長閣下」
「君に礼をいわれる筋合いはないね。大体戻ってきてなんかないよ、俺はアリスに連れられてきただけだ」
「十分です」

 また、笑う。でも先ほど感じたものとは違う、作り物めいた笑顔だった。これならまだ、許容範囲内。先ほどの笑みはどこか気味が悪くて、腹の底の黒いものを渦巻かせるような、そんな笑みだった。思い出すだけで気色が悪い。

「っいい加減放しなさ、」
「はいはいっと」
「えっ、う、わ」

 やっとのことで補佐官の腕から逃げ出したペーターは時計に手をかけたが、補佐官は慌てることもなく、近くにいたアリスをペーターに押し付けた。よろめいたアリスはペーターに抱きつくような形でぶつかり、ペーターは突然のことに反応しきれていない。

・・・あなたね・・・」
「っアリス!やっと僕の想いに応えてくれる気になったのですね!」
「断じてそんな気は世界が滅亡しても起きないわよ!」
「ふふ、アリスは恥ずかしがり屋ですね。僕は知っていますよ、アリスは俗にいうツンデレ、」
「違うっていっているのがわからないの?!」
「げはぁっ」

 恨みがましそうに""に視線を送りながらアリスはペーターから離れようとしたけど、ペーターは腕に閉じ込めることでそれを阻止した。ついでとばかりに頬を染めてお得意の勘違いを披露し、アリスに殴られている。それでもどこか幸せそうなペーターを見て、ため息をついた。

「それで?君はさっきから俺をみつめててなにか楽しいことでもあるの?」
「不躾に申し訳ありません」
「本当にね。あまりじろじろ見ないでくれるかな、殺したくなる」

 笑顔で言い放つ。アリス曰く、どんな状況に置かれてもどんな現実の中にいようとも青空が似合うという笑顔で。それでも君は。

「そうですね、あなたに殺されるなら本望です」
「・・・あ、そう」

 頬を染めて、あの気味が悪い笑みでそんなことをいうものだから、腹の底で黒いものが渦巻く。言い知れないものが首をもたげる。だから俺にこんな正体不明の変なものを感じさせる君が気持ち悪くて仕方ないんだ。アリスが止めなければ既に排除しているというのに。気持ちが悪い。

「俺、君が嫌いだなぁ」
「それは実に残念です」

 そういいつつもやはり笑っている君が気色悪いったらない。







君の笑顔が僕の視界を滲ませる








「そんなわけでアリス。そこの黒ウサギさんに仕事するよう促し終わったところ悪いんだけど、騎士長閣下にも同じことしてやってくんない?」
「っはぁ、・・・あなた、他力本願もいいところね」
「褒め言葉として受け取っておく」



(2008/03/05/)