わかってるわかってるそんなことわかってる。
 あの人がずっと前をむいていることもその方向もわかってる知っている死んでしまいたいくらいに理解しているそれはもう身動きがとれないくらいに縛られてしまっているのだ泣きそうなくらいに。
 私は動けない。
 それでも私は動けない。動いてしまっては最後だということを知っているから。そう、最期。本当にさいご、なのだ。想いを言葉として現した瞬間に脆く散ってしまうだろうということがわかっていながらどうしてそれを投げ捨てるようなことができるだろう。気が狂っているのかもしれない。ただの考えなしなのかもしれない。愚かなのかもしれない。そう、いままさに私は滑稽なのかもしれない。

「なにか思い残すことはない?俺だってそこまで非情じゃないし、最期の言葉くらい聞いてあげるよ?」

 ずっと想い続けて想い続けて気が遠くなるくらいの時間帯を見つめ続けてきっと私は私である限りこの想いを口にすることはないだろうとただただ理解して動かず動けずにひたすらこの人の背中を見つめ続けてそして現れた余所者にではなく紛れもない己自身に視線をむけてやっと個として認識してくれたのにその瞬間がいまも息絶えそうな瞬間だなんてなんて笑えることなんだろう。

「あれ?なにか可笑しいことでもあったかな。俺がわかる範囲じゃ別に可笑しいことなんかなかったよなー」
「別に、なにもありませんよ、エースさま」
「うーん、名前、呼ばないでくれるかな。虫唾が走っちゃうから」

 あぁ、あぁ、個と認識してくれもやはり私はただ立っている物体としてただそれだけでこの方にとってはどうでもいいようなモノで肉の塊なんだろう。いくら私も余所者といえど私はアリスのようにはなれなかったなる気もなかったただ存在自体がここに在るだけの透明のようななにもないただの物体であったのだ。好かれもしなければ嫌われもしない。そんな立ち位置に立っていた。自ら進んで立っていた。なにも想わず考えずただそうやって過ごすことで煩わしいことを全ての事柄を避けていた。逃げていた。
 そんな臆病者が恋をした。なんてなんてなんて滑稽なことか。全てを拒絶して己すらも否定してただただ日々を過ごすだけの命があるだけの人形が恋慕した。とうに感情という感情が死滅していたと己すら理解していたのにまだ恋い慕うことがそんな感情が浮き上がってきたことがひどく愚劣だった。愚かだ。滑稽すぎる。あぁそれでも私はこの気持ちを抑えることなんかできなかったのだ。振り向いてくれなくてもいい。振り向かれる要素などひとつも存在しなかったから。ただみているだけでよかった。あの方がだれにも執着しなかったそれだけでよかった。それだけで私は私を保てた。私は私のままで存在でき、この滑稽な想いを抱き続け顕現することなどなかったのだ。

「そ、れでは、騎士長閣下」
「ん?遺言は決まったのか?」
「いつまでも、お慕いしています」

 これで彼は私に留めを刺すだろう。寸分の迷いもなく躊躇いなど持たず爽やかなあの笑みを覗かせて。軽い動作で冷たい剣筋で爽やかな笑顔に隠れたあの冷たい表情を惜しみなく晒して。私をきれいに殺してくれるのだろう。あぁ、あぁ、私の人生はそんなにほめられたものでもなかったしほめて貰おうなんて微塵にも思わないし平凡で平凡でただ人より泥沼なところを歩き続けてきただけでそんな私が最後の最期に恋をしただなんて。上出来ではないだろうか。あぁ、きっと上出来だこれ以上ないほどの傑作だ。これで私は私であることができたのだ。

「ふぅん、随分と耳障りなことを遺して逝くんだね。気持ち悪くって吐きそうだ」
「それはそれは、どうか、ご自愛ください、ね」
「君がそうさせているってわかっていてそういうんだ?」

 貴方だって私のことを気づいていながらいまのいままで知らない振りをしていたのだから同じことだろうに。そう思いはすれど責める気持ちなんか全くもてないのだから相当私はこの方にほれ込んでしまっているのだ。この方にそうしてもらうことで私も助かっていたこともあるしどう責めろというのだろう。建前はそんなものでやはり愛しいという感情が先行してしまう私はどうしようもなくこの方がすきだった。生まれていままでこのような感情は抱いたことがないからこれは確証がとれるようなものではなかったけど間違いなくこの方がすきだったのだ。
 どうしようもなく、己の命を最後には投げ出してしまうほどこの方に恋慕していた。決して振り向いてはくれないと理解しながらも振り向いてくれないだろうかという淡い淡い消え入りそうなほどの気持ちも持ち合わせていたのは確かでこのような想いを持ち合わせるからにはやはり恋というものをしていたのだろう。
 この方にみてもらえないことに心を痛め個として認識されないことに嘆き視界にうつろうにもうつらないことに憂いを覚えそれでもこの方の姿を視界の端だけでもみることができたときには全てが帳消しになるような想いを抱くような感情を私はそれ以外で知らなかった。だからきっと、これは恋だった。どうしようもなくどうしようもできない恋だったのだ。

「それじゃ俺ってあんまり暇じゃないしこんな陰気臭いところにいたくないからさっさと終わらせることにするよ」
「わざわざそういわなくて、私の傍にいたくないと、いってくださればよろしいのに」
「あれ?ばればれ?そっか、でも一応これから死に逝く人への配慮っていうものだよ。俺ってば優しいよなー」

 あぁ、ついに視界がかすんできた。あの爽やかでいて冷たいものを隠し持つ笑顔がもう見えない。声すらもそろそろ聞き取りづらくなってきてしまって体温がさがっていることもわかる。あぁ、私はもう死ぬのだな。幸せなとは呼ばれない類のものだったけど最期に恋をして知らない知りようもなかったような感情を知ることができてやはり私の人生はそれなりに幸せで不幸せだったのだろう。そしてなによりも最期の最期で受け入れられなかったとしてもすきだと想った人が傍にいてくれて例えその人が私を殺すのだとしても私はとても満足でこの世界にきていなければこんな充実感というものを一生知ることができなかったんだろう。そう思うといままで生きてきた道とかやってきたこととか無意味だったなんて思えない思えるはずない。きっとこれまでの私があっていまの私がありこの状況があるのだ。すきなひとに出会えたそれだけで、それだけのために私は生きてきたんじゃないだろうかと。だとしたら私はいまとても幸せなのかもしれない極上の幸福というものを味わっているのかもしれないそうそれは貴方に出会えたことで。そして紛れもないあなたに殺される私は。

「じゃあな。今度はもう少しまともになってこいよ」

 もう見えない聞こえない世界が遠のく傍らであの方の笑みだけが視えて死ぬということの絶望を感じるよりも幸福と呼ばれる類のものだろうを感じる私はとてもしあわせだったんだと思い知らされ真実私はしあわせだった。



幸福論


(2007/08/12/)