それは予感。だけど確かなる未来。それを感じ取っていたからなのかもしれない。


□◇□


「虫の知らせ・・・」
「なにそれ」

 ぽつり、と呟いた言葉にルックが反応した。見上げてくるルックを一瞥してなんでもない、とだけ返して何かを振り払うかのように頭を振る。最近になって焦燥感にも似た、でもそれとは違うだろう妙な感覚を感じるようになった。それは日に日に強くなり、最初はふとした瞬間だったのがいつごろからか追い立てられるかのようにその感覚が付きまとうようになった。これは一体なんだろうか。虫の知らせ、とは何か違うような気もするし、よくわからない。うーん?と唸り首を傾げるがわからないものを悩んでも答えなど出ない。わかってはいるがどうしても考えてしまう。気持ち悪いのだ。

「変なことかんがえてたら失敗するよ」
「うん、集中するわ」

 ルックの指摘に頷いて深呼吸を一回。いまは魔力の制御練習の真っ最中だ。まだまだ制御の覚束ない自分ではじっくりと集中しなければ上手くいくわけがないし、午後からはグレッグミンスターに行く予定だ。失敗はせず晴れやかな気持ちで赴きたい。

「今日は風」
「了解」

 左腕を地面と水平に伸ばし、魔力を集中させる。指輪が風の加護を受けているからか、いまでは水に次ぐ相性の良さを誇っていた。だから最近では水と風の属性で練習することが多い。やりやすい属性から感覚を憶えて後の属性に活かせていこうということなのだろう。まぁ効率的ではあるよなぁ。
 そこまで考えて指輪を中心に集束する魔力に集中する。ふわり、と足元から風が舞い上がりルックの髪をも靡かせる。風は大気。大気は空気。空気は風。風は万物を巡る。世界を巡る。世界に存在するもの達を知る。風は気まぐれ。気まぐれをこよなく愛す。厳しいようでいてどこまでも優しい風。

「・・・今日は夕方から雨が降りそう。雨雲が北西からこちらに流れてきてる」
「正解。他には?」
「うーん・・・なんだろ・・・」

 風を必死で読み解く。風が教えてくれる情報を受け止める。なんだろう。先ほどの天気予報とは違う、気配。何かを隔ててこちらに迷い込んできたかのような、そんな微かな気配がする。それを掴むべく神経を研ぎ澄まし、風が教えてくれることを一つも漏らすまいと耳を傾ける。微かな気配はほの暗く、見捨てることはできない。何故だか掴まなければならないと使命感にも似た感覚があった。ぶわり、と風が舞い上がる。教えて、風よ。怯えないで、風よ。その懸念を拭い去ってあげるから。ねぇ、どうしたの?
 呼んでいるの?誰を。
 泣いているの?誰が。
 叫んでいるの?誰に。
 訴えているの?何を。
 祈っているの?何に。
 諦めているの?何故。
 君たちは何故、

!!」

 名前を呼ばれて正気に戻った。それと同時に目の前の空間が割れて赤黒く光る稲妻のような、魔力の塊が漏れ出しているのに気づいた。あまりにも深く暗い闇と光景に思わず喉を鳴らし後退るが、それが先ほどの気配の正体だということにも気づいて愕然とする。先ほど見たあれは、流れ込んできたあの感情と情景は、あの少年たちは、この中にいるのだろうか。

ッ!!」

 ルックの必死な声に呼ばれても、目の前の赤黒い闇が迫ってきても、目を見開いたまま体が動かなかった。動けなかった。体に纏わりつく闇に涙が零れそうになった。どうしてなのかはわからない。ただ、ただ本当に衝動に任せるがままに泣き出したくなった。憐れみでも悲しみでもない。ただ泣くことが当たり前であるかのように、泣きたくなったのだ。
 ルックの声が聞こえる。でも何を言っているのかはもうわからない。聞こえない。最後の最後で動いた体はルックに向けて、泣き出しそうに顔を歪めているルックへと笑顔を浮かべて、

「大丈夫、帰ってくるよ」

 約束を置いて闇へと飲まれた。


□◇□


 何事もなく収まった空間を凝視して膝をつく。なんで。どうして。そんな言葉ばかりが頭を駆け巡り、吸い込まれ飲み込まれるかのように姿を消したを思い出して顔を歪めた。
 折角戻ってきたのに。帰ってきたのに。また空気のようにいなくなった。何も存在しなかったかのように跡形もなく消え去った。また、また、失った。

「一緒にいるっていう言葉はうそだったわけ、」

 情けなく掠れて震えた声に嘲笑う。がいないだけでこんなにも不安だ。こんなにも怖い。こんなにも、寂しい。こんな感情は初めて、いまにも泣き出してしまいそうな自分に戸惑って泣くものか、と頭を振った。大丈夫、大丈夫だ。あの時とは違う。違うことがある。そう、あの時とは違うことが一つある。
 は約束を必ず守る。守れない約束はしない。もし約束を破ってしまっても、それは致し方ない、やむを得ない事情が必ず存在した。そんなが笑って約束を残した。帰ってくると、笑顔で約束を置いていった。だから、大丈夫。必ず帰ってくるだろう。約束を守るために。

「・・・はやく来いよ、待っててあげるから」

 不確かな約束に縋るぼくに早く会いに来て。