がいなくなってから二ヶ月が過ぎた。時間というものは早いもので、もうそんなにたったのかと思わされる。 突然、初めから存在しなかったかのように消えうせた居候。いつものように、朝、寝起きの悪いを起こしに行けばベッドは空で、何故か酷く動揺してしまった。ベッドに温もりがなければあの馬鹿でかい魔力を探ってもどこにも見つからない。さぁ、と、血の気が下がり、慌てて階段を駆け上った。それも面倒になって途中で転移魔法を使って大広間へと降り立てば、レックナートはステンドグラスから射し込むわずかな光を見上げていた。その後姿に大声で呼びかけてが消えうせてしまったことを伝えれば、そうですか、とだけ返事が返る。それが妙に腹立たしく、怒鳴り散らせばレックナートが振り向き、泣きそうな笑みを浮かべていたからなにもいえなくなった。 「彼女はいま、今後の生き方を決定付ける大事な選択の時です。待つしかありません、・・・待つことしか、できないのです」 それなりの覚悟をしておいてくださいね、と、哀愁漂うレックナートに、それはなんの覚悟ですか、と、問い返すことはできなかった。必要がなかっただけかもしれない。 いつの間にか止まってしまっていた手を動かし、包丁で野菜を刻んでいく。料理している最中に考えに耽ってしまうのは危なすぎると、ため息をついた。頭痛の酷い頭に眉を寄せながらも作り上げていくが、その量は一人分しかない。 「・・・、ルック、」 「ぼくはすでにすませましたから。食器ぐらい水につけておいてくださいよ、それでは失礼します」 なにかいわれる前に言葉を繋げて外へとでた。わかりやすすぎる嘘だったが、食欲がわかないのだから仕方ない。無理やり食べて戻してしまってはもったいないというものだ。 自分の部屋へと戻るために階段をのぼる。今日はなにをしようか。もちろん家事を済ませてからのことだが、最近は体調がすこぶる悪く、頭痛の激しい頭では精神統一が粗雑になってしまうために実戦的な修行は控えていた。だから読書へと勤しんでいたわけだが、もう読む本がない。どうしたものか。自室の机に積み上げられた本をみて、ため息をつけば視界が歪んだ。片手で頭を押さえ眉間にしわが寄る。こめかみに汗が伝い、鈍器で強く殴られているかのような痛みが過ぎ去るの待った。このまま倒れてしまえば楽になるのかもしれない。そう思ったがそれはいやだった。どうしてもいやだった。 恐いのだ。眠ることが。 ぐらりと傾いていく体を、倒れまいと踏ん張るが力が入らなかった。あの日から、もう二ヶ月近くまともに眠っていないせいなのか体が重くて仕方ない。床に膝をつき、飛ぼうとする意識を必死で繋ぎとめる。腕を掴む手に力が強くなり爪が食い込んだ。微かに感じる痛みで繋ぎとめようとした。 昔は、こんなに拒絶しなかった。どこか諦めにも似た感情を持って、できるだけあの夢をみないようにしていた。あの寒々しい、秩序だけが存在する、虚しい世界を、彷徨うのは生まれ持っての業だと、悟ってはいたがみたくなかった。そう、みたくはなかっただけで、こんなにも怖れることなどいままでなかったのに。 あいつと一緒に眠るようになるまでは。 と眠るようになってからあの夢はみなくなった。いや、これは呪いだからみることがなくなるわけではないけど、みる夢の感覚が変わったのだ。なにかに包み込まれているかのように暖かみをもったものに変化した。ゆるり、ゆるりと。酷く心地の良いそれに、いつの間にか依存してしまっていたのだ。 ずきん、とより一層痛む頭に舌打ちをした。もう二ヶ月近く十分な睡眠を得ていない体は眠れ、と悲鳴をあげている。眠ったほうがいいのはわかっている、理解している。でもそれだけは怖くて、怖くて怖くて怖くて恐くて。 あいつがいなければ満足に眠ることもできなくなったのだ。その事実も、恐かった。 いい加減体を支えられることができなくなって、ぐらりと傾いた体に抵抗する力は残っていなかった。あぁ、倒れてまた、あの夢をみるのか。あの寂しい世界を。 「い、やだ・・・」 「えっルック?!!」 思わず呟いてしまった言葉と重なるようにして名前を呼ばれた。懐かしい声で、名前を。重たい瞼を無理やりこじ開ければ目を丸くして慌てて駆け寄ってくるの姿が見える。傾いていく視界の中、の姿を、懐かしい魔力の波動を、名前を呼ぶ声を、存在そのものを全身で感じて、不覚にも泣きそうになった。 □◇□ 友達に心配されながらも目を腫らしながら帰って、一眠りして頭をすっきりさせたらすでに月は天高く昇っていた。目を冷やしながら寝入ってしまったからか、冷凍庫に放り込んでおいても柔らかいアイスノンは床に落ちている。最近は便利になったものだ。温くなったそれを拾い上げて冷凍庫に放り込み、とりあえず制服から着替えた。お気に入りのワンピースにジーパンを合わせて上着を羽織り、脱ぎ散らかした制服はハンガーにかける。しわくちゃになってしまっていたが、別にもういいだろう。もう、必要のないものだ。 窓に近寄り、空を見上げれば柔らかい月明かりに照らされる。これから行うことを、まるで許すかのように暖かい光は降り注ぐ。許されるはずもないだろうに。 『やあ』 月を見上げていれば後ろから声をかけられた。当然、一人暮らしをしている自分の部屋には自分以外がいるはずもない。だけどさして驚きはしなかった。緩慢な動きで振り返る。 「初めまして、とでもいっとこうか。光」 月明かりで明るい部屋は電気をつけなくても十分なほどに見渡せる。初めからそこに存在していたかのように立っている夢の中のあれは、いつも夢で現れるような人型の光ではなくてきちんと人間の形をしていた。透き通るような銀髪は中途半端に伸ばされ、前髪は青みのかかった銀色の瞳にかかっている。口端を持ち上げて作る笑みは優しげなのにどこか憎たらしい。いつまでも余裕綽々な態度はイメージそのままで、すぐにあの光だと断定できた。 『覚悟は決まった?』 「まぁね。それを察したからでてきたんじゃないの?」 『そうだね』 軽く肩をすくめる光は酷く人間臭い。人などという概念から遠く離れているどころか、次元さえ違うような存在であるのに。 『僕は、あの世界がすきだからね。あの世界に存在する全てが僕にとってかけがえのないものなんだ。長くみてれば、そりゃ似ちゃうものだよ』 じぃ、と見つめる視線の意味に気づいたのか、光はそうやってまた人間臭く笑う。 「あっそ。ただふと思っただけだから、どうでもいい疑問に答えてくれてありがと。一応感謝しとく」 『どうでもいいって、酷いなぁ。これから相方になるっていうのに』 「自分はあんたが引きずり込んだことまだ根に持っているわけだし?これくらい心広く受け止めたらどうよ」 『ごもっとも』 降参、とばかりに肩の位置ぐらいにまで両手を挙げる光ににやりと笑ってみせる。引きずり込まれて悩まされた仕返しにはまだまだ足りないが、それは追々追い詰めるということでこの場はよしとしよう。いまだに笑みを浮かべる自分になにかを感じ取ったのか光は顔を引きつらせていたが、気づかなかったふりをして口を開く。 「それでは新しい相棒に改めまして、自分は。以後お見知りおきを」 『長き相棒となるに敬愛と誠意を持って。我は世界の支柱、礎、統べるもの。主の忠僕となることを誓おう』 忠僕ってあんた。ひくり、と顔を引きつらせた自分の前に跪く光はしてやったりな表情を浮かべてにやりと笑った。お前、穏やかな物言いと優男な外見でそんな性格なのか。負けじと笑みを返してやるが負け惜しみのようで悔しかった。ずい、と左手を差し出す。 「もう宿っているのかは知らないけど、紋様浮かべるなら左手にしてよ」 『うん、わかったよ。、いまは仮住まいの状態だからね。これで僕は正式にに宿る』 人を仮設住宅みたいな言い方をしなくても、なんて思ったが口にはださなかった。光は真面目な顔をして左手を握りしめたため、口を挟むべきではないと判断したからだ。光の足元から風が舞い上がり、銀髪を揺らして伏せ目がちの顔が露になる。一応男みたいだが女にも見間違える美しさだ。だけどこの真面目な顔はきれいすぎて現実感がひとつもない。やはり作り物なんだな、とそんなことを考えていたら風と共に舞っていた光の粒子は徐々に消えうせ、一仕事終えましたといわんばかりに光は息をはきだした。 『はい、完了。これで君は僕を使えるようになったよ』 「え、制御の問題とかは?」 『ついでだから君の魂に必要最低限のことは叩き込んでおいた』 どおりで妙な疲労感があるわけだ。光もそれなりに疲れたらしく、だるそうに立っている。 『だけど修行は怠ってはいけないよ。折角叩き込んだことも錆びてしまうし、紋章を自由に扱うこともできなくなる』 「わかってるよそのくらい。それよりあんたの使い方教えてよ」 『あぁ、要約すればね』 要約したようでされていない光の話を更に要約すれば、イメージするだけで力が使えるということだ。イメージを強く濃く描くことで失敗する確率は減るらしい。しかも使える魔法に制限はない。イメージしたとおりに魔力が働くらしいのだ。なんて便利な。それと同時に酷く危険なものである。こんなものを宿してしまってよかったのだろうか、なんて今更なことを考えてしまうが、自分はあくどい事に使うような度胸も持ち合わせていない狭小な人間である。たぶん。宝の持ち腐れだのなんだの言われるかもしれないが、こんなものはそのくらいが丁度いいのだ。 『それじゃ僕のお姫様?いまなら持って行きたいもの全部もっていけるけどどうする?』 「愚問だね。我が身ひとつ、それ以外に必要だったわけ?」 『ははっ上等!さすが僕の相棒だ!』 口角を吊り上げて不敵に言い放った言葉に、光は嬉しそうに笑った。 □◇□ 光に導かれるままに降り立った場所は懐かしいレンガ造りの部屋だった。随分前の記憶でも鮮明に覚えている。この間取りはルックの部屋だ。一瞬で判別できるほど記憶が廃れていない自分にも驚いたが、ドアの前にいまにも倒れそうに膝立ちになっているルックがいることに一番驚いた。思わず呼んでしまった名前に反応してからぐらりと傾く体に反射的に走り出して、ルックの体と床の間に腕を差し込むことでなんとか床との激突は避ける。ぐったりとした体を支えれば酷く体重が軽くなっているのに気づいて、ざぁ、と血の気が一気に引いた。なんだ、この軽さは。どんな生活をしたらこんなにも軽くなれるっていうんだ。 「ちょっ、ルック?!ルック!!あんた一体なにしてんの!!」 「う、るさいな・・・、あたまいたいんだから、静かにしてくれる・・・」 頭を腕に乗せ、空いたもう片方の腕で腰を支えて、気が動転したままぐったりと体を預けてくるルックに問いかけた。その声が頭に響いたらしく眉を寄せて憎まれ口を叩くが全く持っていつもの覇気がなく、病人のようにぐったりとした様は酷く不安で泣きそうになった。 「あんたなんでこんなことになってんのさ!」 「あんたが、わるい、んだよ」 震えてしまった声に、弱弱しくもはっきりとした言葉が返ってくる。だけど自分が悪いだなんて、どういう意味だ。あっちへと戻ってしまう前にルックがこんな状態に陥るようなことをしてしまっただろうか。眉を寄せて意味を測りかねているとルックはぐっ、と思いのほか強い力で抱きついてきた。微妙な体勢が辛いし危ないから一度床に腰をおろして膝の間に座らせ、ぽんぽん、と背中をあやすように叩けば抱きつかれる力はより一層強くなった。さっきまでぐったりしていたというのにどこにこんな力が残っていたんだ。 「ちょっとルックさん痛い痛い痛いいたい、っていうか首絞まるから」 動転していた気はようやく治まり、頭が冷えた。ぎゅう、としがみついてくるルックの背をなでながら、どうしてこんなことになったのか考える。自分はここからいなくなる前は特別変わったことはなにもしていないし、至って普段どおりに過ごしていた。そりゃ突然だったかと思うけど、そのくらいでなんでこんな状態になったのだろうか。いくら考えてもさっぱりわからない。とりあえず、いつまでもこうしてはいられないし、ルックを持ち上げてベッドに転がった。 「寝よっか」 絶対に離さないといわんばかりのルックは、すでに夢の世界に旅立っていた。 |