ルックが読書に熱中するすぐ傍で手早く着替えをすませ、まだ作っていないという朝ごはんを 作りに部屋をでた。自分は朝に弱い。ルックに頼んでぎりぎりまで寝かせてもらって いたのだが、そういえば何故今日は起こしにきたのだろうか。ふと浮かんだ疑問をそのままルックにぶつけてみると、昨日はなんだか疲れていたので皿洗いを今日に回してしまったということと、微妙に いつもより遅く起きてしまったために朝ごはんを食べる定時刻に間に合わないという返事がため息つきで返ってきた。 普段から後回しになどしないルックにしては珍しいなぁと思いながら頷いていると、キッチン へとつき皿洗いをしてからルックの指示通りに動く。
 時間にはなんとか間に合い、いつも通りの今日が始まる。はずだった。


□◇□


「・・・ルック」
「・・・・・・なに」
「・・・なにしてんの」

 自分の、呆れるような視線の先には額を押さえた仏頂面のルックがいる。赤くなっている 額は妙に痛そうで、実際に結構な痛みだったらしくルックの目には涙さえ浮んでいた。 額をさすって痛そうに顔を歪めるルックに、気付かれないように小さく溜息をつく。
 事態は朝ごはんをすませ部屋に戻って本を読もうと、午前中は勉強部屋と化している 自分の部屋に戻る時だった。先に中に入ろうとしたルックが扉に激突したのだ。 あまりのことに自分は固まり、ルックは顔全体を手で覆ってずるずると蹲った。悶絶している ルックを数秒眺めてからはっとしたように凍結状態は解け、とりあえず部屋の中へとルックを 促したのだ。(抱えようとしたら振りほどかれた)
 そしていま、テーブルを挟んで向かい合っている。

「一体どうしたわけ?」
「別に。どうもしないよ」

 馬鹿か。どうもしないなら激突するはずがないでしょうが。半眼にして胡乱気に視線を送るが ルックは全く無視。答えてくれる気は全くないとみていい。仕方ないな、とため息をついて 紋章術の基本編の本を手にとり、昨日の続きから読み始めた。そして読み始めて数時間。ぱら、ぱら、とページをめくる音だけが響く中、ゴトッ、とい音が異様に大きく響いた。咄嗟に顔をあげればルックはぼんやりとした顔ですぐ脇に視線を落としている。その先を辿れば落とした本があった。見間違いでなければそれはルックが読んでいた本で、明らかにルックが落としたであろうと思われた。しかしルックは眺めるばかりで拾おうとしない。それより先ほどから焦点があっているようにみえないのだが、大丈夫だろうか。

「ルック、」
「・・・」
「ルック」

 名前を呼んでも反応はないが辛抱強く呼び続け、何度目かの呼びかけでやっと顔をこちらに むけた。なんだか目が虚ろにみえる。大丈夫かよこいつ。

「・・・なに」
「"なに"じゃないし。どうしたんだよ、なんか今日のルック、おかしいけど」
「・・・別にそんなことない」

 白を切るルックにため息をつけば軽く睨まれた。あー怖い怖い。もう放置しておこう。再度ため息をついて視線を本へと戻し、ルックは本を拾おうとして椅子を降りる。しかしルックはそのまま床に手をつき膝をついた。視界の端に映った光景に慌ててルックの傍に膝をついて顔を窺い見れば、右手で頭を抱えるようにして顔半分を覆い、眉間に皺を寄せている。

「ちょっとルック」
「別になんでもないっていってるだろ。ただ立ちくらみがしただけだよ」

 嘘だ。直感だったがたぶん間違ってはいない。立ちくらみくらいでそんな苦しそうな 顔をするとは思えなかった。というか、この症状、なんとなく身に覚えがあるように感じる。これもたぶん、間違っては いなだろうと思う。

「ルック、あんた、睡眠不足でしょ」
「・・・・・・なんで」

 根拠は、と聞いてくるがなによりもその間が肯定だと、雄弁に語っている。しかしルックは 否定したいようだった。

「一、ぼうっとしている。二、頭痛がある。間違ってないでしょ?」
「・・・頭痛はないよ」
「嘘つくな。眉間にきつくしわ寄せて頭抱えられてちゃ説得力も皆無だっての」

 そういえばルックは不服だといわんばかりに顔を歪めた。そしてそれだけで睡眠不足と 断定できないだろ、と反論してくる。強情だな。眉を寄せてため息をついた。

「ルックは間違いなく睡眠不足だよ」
「だからなんでそういいきれるんだよ」
「だって自分もよくルックみたいになってたからね」

 そりゃわかるよ、と溜息をついた。ルックはそんな自分をみて器用に片眉だけをあげ、手持ち無沙汰に本を弄る。

「・・・自分も、よく倒れてたんだよ、睡眠不足で。そのときはルックと似たような症状だって 聞いてたからさ、わかるよ」

 酷いときは意識がぶっ飛ぶんだよね、といいつつルックの本を拾い上げてテーブルの上に 置く。落ちて閉じられてしまい、どこまで読んだかわからなくなってしまったが仕方ない。自分の読んでいた本にはしおりを挟んで閉じた。ルックのほうを振り向けば相変わらずの仏頂面で見上げている。もう少し呆けた顔だったらかわいいのになぁとルックを素早く抱えあげた。やっぱり自分が抱き上げるには重かったがなんとか耐える。

「なっ」
「はいはい言いたいことはわかるけど静かにしててねー」

 自分の肩に手を置き、引き離れようとするルックの背中に片手を回し、力をこめる。ルックを支えるもう片方の腕にも力をこめた。結構重いからあまり長い時間は持たないだろうからさっさと歩いて ルックをベッドに放り投げる。驚いているルックは無視して手早く靴を脱がせてベッドの 脇に置き、自分も靴を脱いでベッドにもぐりこんだ。

「なっなにしてんだよ!」
「なにって睡眠不足解消のために寝るんだよ」

 にっこり笑っていえば絶句したようで、その隙にルックの頭を抱え込むように抱きしめ、 逃げられないように小さな体に足を回し固定した。ルックが気付いたときはすでに身動きが取れず、暴れるに暴れられないようにしてやる。なんとか顔をあげたルックはきつく睨んできた。もう人ひとり殺せそうな目だ。

「なんであんたまで寝るんだよ!」
「最近よく眠れてなくてさー。丁度いいじゃん?」
「この格好はなに?!」
「心臓の音を聞けば落ち着くっていうから、寝やすいかなぁって」
「そのまえにいっしょに寝なくったっていいんじゃないの?!!」
「んー、ま、いいじゃん。最近人恋しいんだよ」

 ルックは口を開け閉めさせて言葉もないようで、その様子があの赤い観賞用魚のようで 面白かった。しばらくなんとか逃れようとしていたが、自分は逃がすまいと痛くない程度に、でも 逃げられないように調節して力を込める。しばらく続いた攻防戦はルックが諦めることにより終わり、大人しくなったルックににんまり笑った。子供に負けるほどか弱くないしね。

「んじゃ、大人しく寝ましょうか」
「もう、どうでもいいよ・・・」

 嬉々としていえば憔悴しきった声が返ってきて、少し強引だったかなと反省して力を抜いた。 柔らかい布団を引き寄せてかぶり、ルックを抱きしめればあたたかい体温が伝わってきて、 その心地良さのおかげでにすぐに睡魔がやってきた。あぁ、そういえば随分昔にも、こんなことがあったなぁ。懐かしい。ふと思い出したことはあまりにも切なく悲しくて、思い出すことを拒否するかのように眠りに落ちた。


□◇□


 ルックは自分を抱きしめて眠る人の心音を聞いていた。頭上からはすでに寝息が 聞こえてきて、いくらなんでも早すぎるだろうと思う。それにしても今回は酷かったな、と溜息をついた。いつもなら睡眠不足の日々を重ね、限界がきたときに夢もみないくらいに深く眠る、ということを繰り返してやり過ごしている。 常日頃から追われている家事や修行の疲労も手伝ってその周期は短いものだったが、 最近は数日伸びていた。たぶん、新たな同居人ができ、家事を分担してやるようになってから 疲労も軽くなったのだろう。そのために少しずつ緩やかにたまり、周期の日数が延びた。 いつもより酷くなってしまったのは、緩やかにたまってしまったことが原因だと思われた。
 そこまで考えて、一気に頭痛が押し寄せてきたために思考を中断した。余計なことは考えずに さっさと寝てしまおう。体の力を抜いて寝る態勢へと入る。
 そして感じた、人の体温、聞こえた、規則正しい心音。
 ああ、よく眠れるかもしれない。
 まどろみはっきりとしない意識の中そう思い、無意識にすり寄るようにして体を寄せて眠った。