帰れないなら帰れないで住む場所をどうしようかと頭の片隅で悩み始めていると、それを察したかのように素晴らしいタイミングでここに住んでしばらくは世界のことを学ばないかと誘われた。願ってもない申し出であったし断る理由もあるはずもなく、それならばよろしくお願いしますと頭を下げた。いま思えばこちらの世界に放り投げられた自分をなにも聞かずに(なにか知っているみたいだったけど)拾ってくれたのだからそこまでお世話してくれるという申し出はその人にすれば至極自然なことで、なんていい人なんだろうと感動したのは恥ずかしいから秘密である。
 詳しいことはまた後日、ということでレックナートさんは引っ込んでしまった。なにやら夕食の準備をするらしい。それまで自由にしてもいいということであったが、知らない場所では確実に迷子になるといえば先ほどの少年を探してきてくれと頼まれた。迷うしなぁ、と唸る自分に、来た道を戻って外へと出ればすぐにわかりますから心配ありませんというレックナートさんの言葉にそれならば、と頷いて迷子になるからという馬鹿みたいな理由で拒否することにならなくてよかったと思った。本当に馬鹿みたいだけど本人としては切実なのだ。


□◇□


 話の流れ的に引き受けてしまった少年探しだが、体力が持つかどうか怪しいところである。ぶっちゃけ持つとは思わないがまぁなんとかなるだろう。倒れるまでに見つけ出せばいいことだ。もうしばらくだけ、なんとか持つ、だろうし、たぶん。
 ぐるぐると考えているといつの間にか階段を降りきっていた。そして行き着いた思考はやっぱりなんとかなるだろうということで、気楽に構えていこうかと思う。いまからいろいろ心配したって無駄だ無駄。時間の浪費だ。溜め息をついて妙にレトロな扉を押し開き外へとでた。ふわりと風が頬をなでて晴れ渡る空に出迎えられる。絶好の散歩日和だと空を仰ぎつつ、あの少年をどうやって探そうか考え始めたところで爆音が響き渡った。何事だと爆音がした方向へと勢いよく振り返るが土煙がもうもうとあがるばかりで視界が悪く、さっぱりわからない。そこではた、と気づいた。人が居ないところに煙がたたないのと同じで爆音だってそれを起こす人がいないと響き渡るはずがない。もしかして、レックナートさんがいっていたことってこのことなのだろうか。だとしたら大した狼煙だ。気づきたくなくても気づける。
 呆れたように溜め息をついてレックナートさんに心配した様子はなかったし大丈夫だろうと足を一歩踏み出した瞬間、ぐらりと視界が傾いた。目の焦点があったときには既に地面に倒れているようで、頬に冷たくかたい地面の感触があった。もう少し動けるだろうとは思っていたが、量り間違えていたらしい。意外と限界が早かった。歳かなぁ、などと思いながら地面から起き上がり背中を石造りの塔へと背中を預ける。ひんやりした感触が心地いい。

「あんた、なにしてるの」

 軽く眠気を感じながらもぼんやりと空を見上げていれば爆音のした方向から声が聞こえてきた。視線をむければあの少年が相変わらずの仏頂面で突っ立っている。眉間にしわを寄せてばかりで、なにがそんなに面白くないのだろう。せっかくの美少年が台無しだ。もったいないなぁと近くまで寄ってきた少年をみあげた。

「少年、あんたを呼びにきた」
「へぇ、そう。呼びにきたにはみえないけど」
「ちょっと力尽きただけじゃん」
「たいしたことないね、あんた」

 呆れたように息をつく少年に言い様のない怒りを覚えつつ、図星だったからなにも言い返すことができない。自分が大したことないってことぐらいわかってるよ。全く、生意気な子供だ。もう少し可愛げがあってもいいだろうに。深く溜め息をついて立ち上がった。

「レックナートさんが夕飯作ってるから戻ろ、」
「なんだって?」

 きれいな夕焼けだな、と空を眺めながら目的を果たすべく口を開いたら最後まで言わせてもらえなかった。少年の声にはどこか焦ったような感じが含まれており一体何事かと視線をむければ睨むように見上げられていて、少したじろいだ。妙に強い目に、しり込みする。いやいやもう本当何事。

「いま、なんていった?」
「・・・レックナートさんが夕飯つく、」

 少年の気迫というか迫力に負けて半歩足を引きつつ答えればそこまでで十分だったのか、少年はすぐ脇を通り過ぎて走り去ってしまった。顔を多少青ざめさせていた少年の後姿を眺めながら呆然とするものの、すぐさま踵を返して追いかける。まだこの塔を案内してもらっていないのだ。そんなまま一人で行動してみろ、確実に迷う。体力も底を突いているというのに、迷ってたまるか。体が悲鳴をあげるけど軽く無視して見失いそうになる後姿になんとかついていく。疲労困憊な身としてはもう少し速度を落としたいところだが少年が素早すぎて追いつけない。なんだあの素早さは。子供は素早いとどこかで聞いたことがあるけど、これは異常じゃないだろうか。いくら子供でも早い。早すぎるよ。なにをそこまで慌てているのだろうか。要因がさっぱりわからない。
 どこをどう走ったのかもわからずに大きな扉に行き着いた。飛び込むようにして少年は扉を蹴り開ける。なんてことを。蝶番が僅かに軋んだことには気づかなかったことにした。

「レックナートさま!!」
「あらルック、どうかしましたか?」

 息も荒く少年のやや後ろで止まり視線を部屋の中へと向ければ、のほほんと微笑んでいるレックナートさんをみた。瞬間に視線を逸らした。正しくいうのなら、レックナートさんをみた際に視界に入った謎の物体から、である。できるだけ視線をあらぬ方向へとむけて、噴き出る汗を拭うこともせずに一生懸命考えた。あれはなんだ。あれはなんだ。あれは、料理?そういえばレックナートさんは夕飯を作るといっていたではないか。それに謎の物体は皿に乗っているのを確かにみた。いやでもまさかそんな。あれが、料理?
 信じられない心地でちらり、ともう一度視線をむけてみれば相変わらずのほほんと微笑んで鍋をかき回している。そのかき回している鍋からあがっている煙は何色だ。どうしたらあんな色になるんだ。唖然として視線を落とせば少年が床に手をついて小刻みに震えている。そんな自分たちを差し置いてレックナートさんは上機嫌に何事かをずっと話していたけど、全然全く耳に届いていなかった。あんなものをみせられて笑顔で相槌を打てとか、そんなの無理だと思う。レックナートさんには悪いけど。

「もう少し待っていてくださいね、もうそろそろ二品目が、」
「レックナートさま!!」

 ほやほやとふりふりエプロンをつけたレックナートさんが上機嫌そうに笑んで鍋をかき混ぜていれば、受けた精神的ダメージから復活したらしい少年が怒気を孕んで叫んだ。青筋が浮かんでいるようにも見えなくもない。怒り心頭らしい。自分的にもうなんだか人外魔境を覗きんだみたいでどうでもよくなっていた。いや、あれを食べさせられるのならばどうでもよくないことなんだけど。それでもどうでもいいような、勝手にやっちゃってくださいとかそういう一種諦めにも似た気分に支配されていた。あぁでも、失礼かもしれないけどあれを食べるのは全力で御免被りたい。

「あれほど家事はぼくにまかせてくださいといったじゃないですか!!」
「ですがルック、このたびさんが塔に滞在するにあたって、わたくしなりの歓迎を示そうと、」
「また勝手にきめられたのですか?!あれほどぼくにはないしょで出費がかさむようなまねはしないでくださいともうしあげたはずです!!」

 おいこら少年。自分は犬か猫かそんな扱いなのか。心の中で突っ込めばレックナートさんを叱っている少年に聞こえるわけもなく、ただ怒りに満ちたその背中をぼんやりと眺めるばかりだ。自分、どうなっちゃうんでしょうね。溜め息をひとつ。

「だいたい歓迎すべきにんげんをころそうとしないでください!!」
「あら、ルック、言葉が違いますよ。美味しい料理で人が死ぬはずないでしょう?」
「すこしは自覚したらどうですかレックナートさま!!」

 吼え続けている少年とレックナートさんの話をかいつまんで聞く限りでは、レックナートさんの料理と味覚は崩壊寸前のようなものらしい。風前の灯、かもしれない。食べさせられる人たちが。それはもう大層な味音痴であり料理音痴でもあるレックナートさんの舌は、己の作る以外の料理では普通なんだとか。随分と都合のいい舌である。ついでとばかりに破滅的に家事能力が欠落しているということも察することができた。少年が来るまで一体どんな生活をしていたのか気になって仕方ない。まぁ予想はできるけど。

「いつものようにぼくがつくります。よろしいですね?」
「・・・・・・仕方ありません、わかりました」

 これじゃあどっちが大人なのかわからない。あんな大人がいたのでは子供が大人びてしまうのもわかる気がするけど、せめていろいろと自覚していて欲しいものだ。少年の苦労を思うと少し泣けてくる。

「少年、手伝うよ」

 仏頂面でシンプルなエプロンを素早く身につける少年に手伝いを買って出れば器用に片眉をあげて、下から睨まれた。うん、怖くないってこともないけどさっきの一騒動後であるし仕方ない。威圧感ありすぎて顔が引きつるけど。

「これでも、一人で暮らしてて家事全般は習得してあるから。心配しなくていいよ」
「・・・あっそ」

 エプロンはその棚の一番上、とそういいおいてさっさと妙な色の煙が蔓延する流しへと向かった。その後姿をみて実に、本当に苦労してきたのだな、とまた泣きそうになった。あの手馴れた手つき、足取り。あの頃の自分は幸せに満ちて遊び暮らしていた頃だったというのに。あんな保護者では仕方のないことだったのかも、しれないが。
 大人しく所定の位置についているらしいレックナートさんを一瞥しながら手早くエプロンをつけ、足早に少年のもとへと向かった。

「あ、少年。自分は。よろしくー。少年は?」
「・・・・・・ルック」