とりあえず少年の後ろをついていった。どうやら案内してくれるらしい少年の名前はまだ知らない。というか聞ける雰囲気を作ってくれない。主語を省略して会話もできるが、一応知っておきたいなどと思うのは自分だけではないはずだ。どうやって聞きだそうか、悶々と悩んでいるうちに少年は塔の中へと入っていってしまう。それに習って自分も塔へと足を踏み入れ、意外と内部が広いことに驚いた。上を見上げて高さにも驚きつつ、少年を探せば既に馬鹿みたいに上が見えない階段を上り始めている少年の背中を見つけた。待つつもりはないってことですか。ばたん、とレトロな作りの扉を閉めて胡乱気に背中を眺めるが少年からは肩越しに早くしろよといわんばかりの視線をよこされるので溜め息をついて階段に足をかける。あまり仲良くできる気がしなかった。いや、話を聞いたらすぐに出て行くつもりだし仲良くする意味はないのか。そう思うと名前も知らなくていいかと思えてきて、ひたすら無言で階段を上り続けた。
 息があがり、走っていたから体力持つかな、と心配になってきたころに頂上へとついた。流れる汗は襟刳りを引っ張って拭くなり袖で拭うなりする。呼吸を整えようと大きく息を吐き出せば少年が情けないとばかりに眉を寄せているのに気づいたが、それだけだった。このくらいで不快になるほど繊細でもないし、第一構っている余裕がない。思いのほかに体力が削られている。

「なかに入るよ」

 一言声をかけて少年は扉に手をかける。開くもんなのかと眺めていると、背丈の何百倍とある扉は酷くあっさりと開いた。

「レックナート様」

 中にいるのであろう人の名前を呼びながら部屋へと踏み入る少年の後に続く。ゆったりとした、全体的に白い服を着た人が振り返り目があった、かと思ったがその人の目は堅く閉じられていた。

「おつれしました」
「ありがとうございました、ルック。下がっていいですよ」
「・・・・」

 少年は柔らかく微笑みかけられたというのに険しい顔をし、一礼して部屋をでていく。不躾だと思う前に何故か不思議に思い、少年を目で追いかけていたためか、向けられる視線に気づかなかった。

「あの子が、気になりますか?」
「あ、いや、えーと、」

 突然話しかけられ、咄嗟に言葉がでてこなかった。いつもなら別に、くらいは答えられただろうに、どうやら自分は相当疲れているらしい。口ごもってしまう自分にその人は気を悪くはせず、むしろ微笑まれたのでなんだか居た堪れなかった。唸りながら首裏を擦りながら会話の糸口を探る。

「なんか、少年が更に機嫌悪くなったみたいだったのでなんでかな、と」
「それは多分、私があの子の心情を見抜いていたからでしょう」

 あの短いやり取りの中でそこまでわかってしまうとは、聡いというか勘の鋭い少年だ。そうなんですか、と相槌を打ちつつ、不躾にならない程度にあたりを見渡す。壁はレンガ造りで随分高い位置に窓がある。目正面には大きなステンドグラスが光を零していた。神秘的な空間に相乗効果を乗せるそれは、ひどくきれいで何故だか落ち着かない。純日本人だからだろうか。
 明らかに日本ではあり得ない空間だ。むしろ塔がない、はずだ。こんな神秘的な空間など知らない。

「早速ですが、本題に入りましょう。私はレックナート、バランスの執行者」
「はぁ、ご丁寧にどうも。自分は高野です」

 わけのわからない単語も聞こえたがとりあえず名乗っておいた。しかし名乗っておいてから和名でないことに気づいて、改めて苗字と名前を逆にして名乗る。さん、と反芻したかのような言葉にはい、とだけ返す。

「ここがどこだかわかりますか?」
「あー・・・どうやら自分の故郷ではない、ということはわかります」

 あの田舎には森はないしレンガ造りの塔だってあるはずがない。あんなものができていたら母から何か聞かされるだろうし、コスプレのような奇抜な服を着た人だって普通に歩いているわけがない。一部地域を除いて日本にはなかったと思う。

「ここ、どこなんですか?」
「・・・さん、気を確かに持って、聞いてください」
「はい?」

 たかだかここはどこだと聞いただけでなぜそのようなことをいわれなければならないのか。何故そんなに真剣なのか。意味がわからない。険しく真剣そうな表情に疑問符を浮かべてしまう。なんですか、と軽く重ねて質問した。

「ここはあなたの世界ではありません」
「は?世界?故郷じゃなくて?」
「そうです、世界が、世界そのものが違います」

 いきなりなにをいわれるのかと思いきや、そんな世界規模のことだとは思わなかった。しかも面白いことに世界が違うらしい。自分がいた世界と。違う。思わず笑いが零れそうだったけどレックナートという女性は真剣な顔と雰囲気を崩さずに閉じられている目で見つめるものだから本気なのだと悟った。ひくり、と笑みを描こうと持ち上がった口角が引きつり目が丸くなる。そんな馬鹿な。

「と、いうことは」
「帰れません」
「帰れない?」

 馬鹿みたいに反芻する。帰れない。帰れない。帰れない。そう、あの場所に帰れない。

「そうですか」
「・・・それだけ、ですか?」
「これ以上なにをいえと?」

 自嘲するような笑みを浮かべて質問を質問で返す。真剣な空気のなかに悲愴なものが混じり始めていたがそれは断じて自分のものではなかった。目の前の女性から当人ではないというのに悲しみを帯びた視線を感じたのだ。目は堅く閉じられているというのに。それに、別に帰れなくてもよかった。帰れなくても、別に構いやしなかった。

「そのくらいどうでもいいですよ」
「しかし、肉親に未練などは・・・」
「あぁ、それは少し淋しく思いますけど、別にないです。そんなもの」

 感じるほうが滑稽だ。

「世界が違うだけで逢えないだけですから」